今振り返ると、一平と離婚して道頓堀から姿を消した第100話が千代の人生における“底”でした。その意味では、「これまで第1週から第20週までの100話をかけて描いてきた千代の不幸や苦労は、すべてラスト3週を盛り上げるための前振りだった」と言えるのかもしれません。
栗子や春子と3人で過ごす幸せそうな姿も、ラジオドラマで“12人の子を持つ肝っ玉母ちゃん”を演じる生き生きとした姿も、100話かけてじっくり描いてきた不幸や苦労の呪縛を払拭できたから輝いて見えるのでしょう。視聴者としても、千代の悲しみや孤独をさんざん見てきただけに、公私ともに家族を得たことを心から喜べるのです。
近年の朝ドラは、視聴率を下げずに半年間乗り切ることを優先させ、「批判を避けるために重い展開を続かせない」という作品が主流になりました。実際、「主人公を助ける人が多く、悪人は少ない」「不幸や苦労が訪れても1~2週の放送のみで解消する」という脚本・演出が多いだけに、『おちょやん』の思い切った脚本は際立っています。
因縁の夫、舞台、作品と対峙する千代
だからこそ最終週では、あと2つ残っている呪縛を解くための物語が描かれるのでしょう。
それは一平に対する夫婦の呪縛であり、芝居での失敗に対する呪縛。そんな呪縛を解くために、「千代は自分の居場所である道頓堀に戻り、再び鶴亀新喜劇の舞台に立ち、舞台上で号泣した因縁の作品を演じ、裏切った一平をゆるす」という一連の流れが期待できるのです。
鶴亀新喜劇の舞台も、涙を流した因縁の作品も、一平との共演作だけに立ち直ってなければ演じられません。最後にそんな葛藤を乗り越えて、新たな人生を歩みはじめる千代の姿が見られそうなのです。もちろん重いシーンばかりではなく、岡安や鶴亀新喜劇など道頓堀の大切な人々との再会も描かれ、ネット上は歓喜で沸くでしょう。
また、もしここで物語が終了したら『おちょやん』は「あえて余力残しで終える」ことになります。モチーフである浪花千栄子さんの女優人生には、黒澤明監督や小津安二郎監督などの作品に出演した映画女優としての活躍や、テレビ番組への出演などもありました。それらを手厚く描くこともできたはずですが、脚本の八津弘幸さんをはじめ制作サイドは、「どん底から立ち直り、新たな人生を歩き出す」という最もポジティブなシーンを最終週に選んだのではないでしょうか。
いずれにしても緻密かつ意欲的な脚本・演出であったことは間違いなく、視聴率の高低には関係なく、『おちょやん』は人々の記憶に残る朝ドラになりそうです。
【木村隆志】
コラムニスト、芸能・テレビ・ドラマ解説者。雑誌やウェブに月30本前後のコラムを提供するほか、『週刊フジテレビ批評』などの批評番組に出演し、番組への情報提供も行っている。タレント専門インタビュアーや人間関係コンサルタントとしても活動。著書に『トップ・インタビュアーの「聴き技」84』『話しかけなくていい!会話術』『独身40男の歩き方』など。