あるスタッフがその一派に入りたいもんだから、「健さんは催眠術もできるんですよね。かけてくださいよ」と言って近づいてきた。健さんには丹波哲郎から教わった催眠術があるんです。そのスタッフに健さんが「蝶になれ」なんて言っていると、手をひらひらさせる。そのうち昼休憩が終わって健さんたち一派は部屋を出てこっそりそのスタッフの様子を眺めていたんです。催眠術を解いてませんからね。そうすると手をひらひらさせながら時々テーブルに残った料理をつまんでいる。健さんに催眠術をかけられてかからないわけにはいきませんからね。でもお腹は空いている。蝶になりながら料理を食べる姿にみんな大笑いですよ。そうやって、健さんを中心にまとまる、仲間になりたいというスタッフの気持ちは持っている人が多かったように思いますね。
健さんは1980年『動乱』を最後に東映を離れましたが、私たちとしてはいつかまた出てもらいたいと思っていた。ちょうど2000年に私は60歳の定年を迎え、「定年の記念の卒業式をしたい」と口説いたんです。なかなかOKとは言わなかったけれど、結局東映作品に戻ってきた。それが『鉄道員』です。出演を承諾する私宛の手紙には、〈渡世の義理で、もう1本だけ〉と記されていました。粋な文句に感激したのを覚えています。