ハードとソフトの両輪経営を貫いた
前任者が解任された場合、よくあるのが路線変更だ。前政権を否定することで求心力を高めるというやり方だ。ところが、平井氏はその手法を選ばなかった。
平井氏がトップについて間もなく、ソニーはパソコン事業から撤退し、テレビ事業を別会社化する。これだけを見ると路線変更に見えるかもしれないが、社内の人間に言わせれば、「目的はシェアを求めるのではなく利益重視。そしてこれは以前からソニーが目指していたもの。平井社長はそれをさらに強力に推し進めた」ということになる。
むしろ平井─吉田体制は、ソニーの成り立ち、ソニーの歴史を踏まえ、これまで積み重ねてきたものを最大限活用することによって収益の最大化を目指した。
ソニーが世界でもまれなハードとソフトの両輪経営であることはよく知られている。電機メーカーだったソニーが、ソフト部門に進出したのは半世紀以上前の1968年。レコード部門を持つ米CBSと合弁でCBS・ソニーを立ち上げたのが最初だった。
1988年にはCBSのレコード部門をまるごと買収し全世界での音楽事業を本格的に開始する(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)。翌年には米コロンビア映画を買収、映画事業にも参入する(現ソニー・ピクチャーズエンタテインメント)。
ハード事業とソフト事業は文化が違う。そのため両事業を統括し、相乗効果を上げるのは難しい。ソニー以外にもパナソニックや東芝も、米映画メジャーを買収・出資したが、結果を残すことはできなかった。
ソニーも、当初は映画事業をコントロールできず、巨額の赤字に苦しんだこともあった。しかし、この両輪があったからこそ、ハードとソフトの統合の象徴ともいうべきゲーム機ビジネスに参入することができたのだ。
「ソニー製品には一家言持っていた」
そのため、ソニーのトップにはハード、ソフトそれぞれに明るくなければならない。その意味で平井氏は両輪経営の体現者だ。
ICUを卒業した平井氏が入社したのはソニー・ミュージック。その後はゲーム事業子会社の社長も務めている。もっともそういう経歴は不安要因でもあった。エレキ事業再生を宣言した時も「ミュージック出身者にエレキ部門が分かるのか」との声が社内にあった。ところが平井氏は、少年時代からのソニーファンで、入社前からソニー製品に慣れ親しんでおり、「ソニー製品には一家言持っていた」(平井氏)という。
かつてのソニー経営者は、ソニー製品を誰よりも愛し、新製品ができると手に取りわが子のように愛でていた。平井氏の時代になり、その光景が復活した。その姿を見てエンジニアたちは平井氏を見直し、エレキ部門の再生につながった。