ただし、美香さんの信念として、将来、弟妹たちに千璃さんの世話を強制することだけは避けたいと考えている。もちろん、千璃さんが姉であるという事実が変わることはないし、家族として仲よくしてほしい。だが、自分たちの夢や人生を、“千璃ちゃんがいるから”という理由で諦めることはあってはならないと思っている。
「ことあるごとに、子供たちには『面倒を見なくちゃいけないと思わないでね』と伝えています。末の娘は、将来お金持ちになって、千璃のことも助けてくれると大きな夢を話してくれますが、その気持ちだけで充分です」
障害者施設での殺傷事件で犯人が語った言葉に全身が震えた
かつては孤独と闘ってきた美香さんだが、その道のりは大きな輪をつくり、各方面へ広がっている。今年4月には、美香さんの著書を原案にしたリーディングミュージカル『DUSK』が東京で公演された。その情報は多くのメディアで報じられ、反響を呼んだ。
「最初の本を出してから、もう9年が経ちます。いまも本のメッセージを大切に取り出して、私たち家族に起きたことはみんなに無関係ではないと、誰かが伝えてくれることはとても感慨深い。人の優しさに触れた気がしました」
2冊目の書籍『生まれてくれてありがとう 目と鼻のない娘は14才になりました』は、台湾でも翻訳され、今年4月から同国の出版社で刊行されている。世界各地で、さまざまな形で、親子の物語に関心が寄せられている。“障害も個性”──そんな言い方をする人もいる。だが、障害は特徴の1つではあるが、“個性”というきれいごとで片づくものではない。
「ミュージカルを見るため、この春、久しぶりに日本に帰りました。かつては、日本から届いた批判の声によって傷つきましたが、いまは、千璃の話をもっと聞かせてほしいという声がたくさん届いています。学校で子供たちに話してほしいという声も多く、日本も多様性を受け入れようと変わってきていることを肌で感じました。それが皆さんへの恩返しになるのなら、どこへでも行って、伝えていきたいと考えています」
アメリカに拠点を置く美香さんだが、日本で起きたある大事件を忘れていない。2016年の、相模原障害者施設殺傷事件だ。
「19名の尊い命が失われた事件は、アメリカにも衝撃的なニュースとして伝わってきました。“障害者は世の中のお荷物、世の中からいなくなるべきだ”という加害者の言葉に、全身が震えました。
体が大きくなり、介護が必要になった障害者を家族だけで世話するには限界があります。施設に子供を送り出さざるを得なかった親御さんたちの思いと、その先でわが子が殺傷された気持ちを思うと、本当にいたたまれない」
障害者は不幸をつくることしかできない──犯人の主張は、日本社会にあまりにも暗い影を落とした。子育てを通して、数えきれないほど何度も闇の中をさまよってきた美香さんだが、犯人のその主張を真っ向から否定する。
「千璃は、『生きるとはどういうことだろう』『幸せって何だろう』と、私たちに考えるきっかけをくれました。千璃の存在によって、勇気づけられた人たちもいます。千璃とは言葉でコミュニケーションを取ることはできませんが、会うたびに私は“生まれてきてくれてありがとう。生きていてくれてありがとう”と言葉にして伝えています」
この先も、母と娘は歩み続ける。暗いトンネルをくぐることも、光が差すこともあるだろう。まだ誰も歩んだことのない道の先を見据えている。
写真提供/倉本美香さん
取材・文/角山祥道
※女性セブン2021年6月17日号