だが、大政奉還からおよそ2か月後、慶喜に主導権を握られることを恐れた薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通らによって「王政復古のクーデター」が行なわれる。まだ数えで16歳だった明治天皇を取り込み、「王政復古の大号令」を出させ、幕府、朝廷の廃止と新政府の樹立を宣言させたのだ。慶喜はクーデターを黙認して大坂城に下った。その後、旧幕側と薩摩側とで駆け引きがあり、慶喜が新政府で要職を占めることもほぼ確定した。ところが、紆余曲折の末、鳥羽・伏見の戦いが起きてしまうのだ。
その頃、渋沢栄一は幕府の使節団の一員として訪問中のヨーロッパで政変を知った。その後何年もの間、慶喜の行動に「なぜ」の疑問を抱き続けることになる。
慶喜は本当に「臆病者の逆賊」だったのだろうか、それとも……?
取材・文/鈴木洋史
※週刊ポスト2021年6月18・25日号