特に昇進がかかる締日のこと。ローン審査の結果を待ち、もしダメならキャッシングしてでも現金を突っ込むことを彼女は繰り返し、それも仲間を思えばこそだった。〈下の人が成功体験を積まないと自分も成功しない〉〈人を応援することが自分の利益に直結する。こんなに素晴らしいビジネスが他にあるでしょうか〉

「マージンや引越しの話はほぼ実話やし、仮想通貨やマルチの今も極力取材して入れたつもり。時代と寝てこそエンタメだというのが山村小説教室・森村誠一塾長の教えですし、元々私は今しか興味がないんですね。

 実は私、これを書くまで、当時のことを一切振り返ったことがなかったんです。それが栄光であれ恥であれ、『過去は絶対に変えられないから気にしてもしゃーない』が身上なもんで(笑い)。

 そんなわけで、自分では特におもろいとも思わない過去とほぼ初めて対峙したわけですけど、なぜ自分がそこまでハマったかといえば、周囲の大人からマーフィの法則とか超ポジティブ思考を叩きこまれ、成績も偶然上げられただけなのに、〈自分は特別だ〉と勘違いしたことが大きいと思う。私みたいに自己評価が低い人間ほど承認欲求も強く、自分が認められない自分を誰かに認めてほしいんですよね。要は若くて世間知らずやったんですけど、そうやってマルチや新興宗教にハマる心理は私だけのものではない気が今はします」

悪魔にも宝石にもなる言葉の面白さ

〈地獄、踏んでないよね〉と自問しながらも、自分の行為の正当化に走る〈一貫性の法則〉に絡め捕られ、見たくないものに蓋をする真瑠子。そうやって自己欺瞞を常套化させていく姿は、愚かと一言で片づけるにはあまりに身近で、人間的だ。

「自分はいい買物をしたと正当化したり、一度決めたことは貫いてこそ正義だと思い込むのが一貫性理論で、そういう人を頭ごなしに否定しても無理。まずは愛をもって認めてあげないと!!

 しかも自分が成功すると、下の子もと思うのが人情。60万? いいよ、私が突っ込むって、それでますます借金が膨らむ一方、人前で話す自信がついたのも確かです。特に言葉の魔力というのかな。人を自殺に追いこむような言葉もあれば、その一言があるから生きていけるというものもあって、悪魔にも宝石にもなるのが言葉の面白さかと。だから小説を書き始めたんです」

 言葉の凄さも怖さも両方知るからこそ、その言葉の世界で勝負に出た西尾氏。そんな捨身の覚悟すら感じさせる、1行たりとも息の抜けない仰天必至の1冊だ。

【プロフィール】
西尾潤氏(にしお・じゅん)/大阪府生まれ。大阪市立工芸高校卒。デザイン会社勤務を経て、某ネットワークビジネスに傾倒。最年少記録で表彰される一方、買い取り等で借金が嵩み、23歳を前に脱会。昼は化粧品会社の美容指導員、夜は北新地のクラブのバイトを掛け持ちして700万円を完済、カナダ留学も叶える。帰国後はヘアメイクやスタイリストとして活躍する傍ら、山村正夫記念小説講座に通い、2018年『愚か者の身分』で第2回大藪春彦新人賞を受賞。翌年同作でデビュー。153cm、O型。

構成/橋本紀子 撮影/国府田利光

※週刊ポスト2021年7月9日号

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