1955年11月21日に鶴田と照子は挙式を行ない、岸もその2年後にフランス人映画監督と結婚した。
「彼女を愛した、その記憶は消すことはできませんよ。(中略)だけどね、女房からすれば、これは“思い出”などという、なまやさしい感傷じゃないですね。やはり一生、心から消えない“傷”だろう」
長女の愛弓が家庭での出来事をのちに綴っている。
「アルコールが入って口が軽くなっていた父が、母がその場にいるのを忘れて、私に向かって、『お前は岸惠子に似てるな』と口を滑らせてしまい、母の気分をひどく害したことがあった」(『新潮45』1999年12月号)
懺悔の心情を滲ませる独白には哀愁が漂っていた。
「すべて、オレの責任なんだ。だからできるだけ彼女の心の傷を癒してやりたい」
鶴田は岸への郷愁を持ちながら、妻を愛した。62歳の1987年に肺がんで死去後、隠し子騒動も勃発したが、十三回忌法要の時に照子夫人は感謝を述べている。
「いろいろあっても、きちんと私の方を向いてくれていた。楽しい誠実な人。私が悩むようなことはなかった」
妻の言葉に、鶴田は救われたはずだ。
構成・文/岡野誠
【※本特集では現在の常識では不適切な表現が引用文中にありますが、当時の世相を反映する資料として原典のまま引用します】
※週刊ポスト2021年8月27日・9月3日号