1978年に行った『ロックンツアー』のアンコールでは、上半身裸で金粉を纏い、輝いていた
西:はい。「自分、野球できる?」と沢田さんに聞かれて、「大阪の大鉄高校で野球をやっていました」と答えたので、おそらく(笑い)。
その期待に応えて、沢田さんの草野球チーム『ジュリーズ』ではホームランを打ったこともありますよ。1979年1月末で、付き人はやめましたが、その後も、ぼくが所属していた『ウォーターエンタプライズ』という事務所の草野球チームで、『ジュリーズ』と対戦したことがあります。そのときのメンバーは、ショーケンや大友康平さん、永井龍雲さんなど豪華でしたね。
國:私は広島にいた時期があるのですが、当時はファンクラブ広島・山口支部に入っていて、ジュリーが全国ツアーで広島に来るときは、ぜひプライベートで野球大会をしてほしいと、関係者にお願いして、当時の所属レーベル『ポリドールレコード』の広島営業所チームと『ジュリーズ』が対戦したんです。おかげでユニフォーム姿のジュリーを近くで見ることができ、感激しましたね。
西:沢田さんの背番号は26なんですが、それは26才で野球チームを作ったから。毎日忙しくて大変でしたが、私には楽しい青春の日々。憧れの沢田さんの戦友でもあった一年でしたね。
【プロフィール】
西澤守/タンゴ歌手。1958年生まれ、北海道函館市出身。19才からジュリーの付き人を1年間務めた後、歌手・俳優デビュー。現在もタンゴ歌手として活躍中。
國府田公子/1954年生まれ、広島県呉市出身。ジュリーファン歴53年。WEBサイト『Julie’s World』を運営・主宰。著書に『沢田研二大研究』(青弓社)がある。
取材・文/北武司 写真/女性セブン写真部
※女性セブン2021年9月2日号