「過去を振り返ると、無期限出場停止となった場合では、少なくとも1か月半は出場停止になっている。山本もファンの署名がなければ、もっと長くなっていたでしょう。常識的に考えれば、“無期限”はかなり長い期間が想定される。今回の中田の件にしても、少なくとも今シーズン中の解除はないと思われていた。ただ、“無期限=期限は決まっていない”という意味ですから、別に1日でも無期限は無期限です。でも、そんな屁理屈を実行してはファンの賛同は得られない。
中田は8月11日に処分が下されて、20日に解除された。わずか10日間の“無期限出場停止”は前代未聞の短さです。確かに日本ハム時代に起こった問題への処分ですが、プロ野球選手として処分が下った以上、巨人が出場停止処分を引き継げばいい。それなのに、すぐに1軍登録して、スタメンで使った。巨人が“中田を再生させる”という大義名分のもとに、優勝に向けた貴重な戦力を獲得したと思われても仕方ないでしょう。しかも、無償トレードですから」
巨人がルールや慣習の間隙を突いて、強行突破する姿勢は今に始まったことではない。1948年オフには前年30勝、同年26勝を挙げた南海のエース別所毅彦が年俸に不満を持っていることを察知し、巨人が獲得した。ちょうど5年契約が切れる時であり、ルール上は問題がなかったが、移籍が活発でない時代背景もあり、『別所引き抜き事件』と呼ばれた。別所は開幕から2か月の出場停止処分を受けた。
1978年のドラフト会議前日には、作新学院職員の江川卓と契約を結んだと発表。いわゆる『空白の1日』を利用するも、入団は認められず。巨人がボイコットしたドラフト会議で、阪神が江川との交渉権を獲得。キャンプイン前日の翌年1月31日、江川は阪神に入団し、直後に巨人の小林繁とのトレードが成立した。大騒動を巻き起こしたため、巨人は開幕から2か月間、江川の1軍昇格を自粛した。
「こんなことが続くようなら、今後どんな問題が起きても『無期限』という言葉で処分を下してはいけないのではないか。中田の件は、そんな事例になったでしょう。具体的に数字でハッキリ示す必要がある。