ただ、落合を追った8年間をひとつの物語として書いてみて、自分なりに思い至ったことはある。
俺のような生き方は誰にもできない。これは万人の正解などではなく、自分にだけしか当てはまらない答えなのだと、この世に他人から与えてもらう答えなど存在しないのだと、落合は言いたかったのかもしれない。
確かに私の胸には、落合のような生き方への羨望と怖れと、自分には絶対にできないという諦めがある。それが落合について書かなければ、という使命感の源だった。
落合が監督をした8年間に関する連載(『週刊文春』2020年8月~2021年3月)を世の中へ発表するという段になって、私はあの冬の日のように、それを本人に告げておく必要があると思った。
久しぶりに聞く声は、少し枯れたように感じられたが、会話に漂う緊迫感は変わらなかった。
これは私が書き手として死ぬまでにやろうと思っていたことのひとつで、それが週刊誌の要請を受けて今になったと告げると、落合はこう言った。
「おお……そうか」
それだけだった。何を書くのか。どう書くのか。賛否も可否も正誤も、答えらしきことは何も口にしなかった。
落合はあの頃も今も、落合博満のまま時代を生きていた。それはおそらく1960年代、秋田の高校で、野球部の旧弊に嫌気がさし、グラウンドに背を向けたころから変わっていない。
好きであれ、嫌いであれ、落合がいまだ人々の関心を惹きつけるのは、時代を突き通すような、その普遍性のためではないか。極端な孤独と自由が放つ鮮烈さのためではないだろうか。
少なくとも私自身はこれからも、「おまえ、ひとりか?」と、自分に問いかけながら生きていくことになる。その先に答えがあるかはわからないが、否が応でも、そうせざるを得ない。
【プロフィール】
鈴木忠平(すずき・ただひら)/ライター。1977年千葉県生まれ。日刊スポーツ新聞社を経て、2016年に独立し2019年までNumber編集部に所属。現在はフリーで活動している。著書に『清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実』(文藝春秋刊)など。
※週刊ポスト2021年10月15・22日号