小説の中に、「門前の人」という印象的な言葉が出てくる。礼子がかつて裁いた蛭間(ひるま)隆也も、東京地裁の「門前」に立っていたことが、礼子の同僚の目に留まる。
「『門前の人』というのは資料として読んだ本で知って、これをタイトルにしようかと思ったくらい心惹かれるエピソードでした。判決に不満があったり、裁判所に対して何か物申したりしたい人が、門の前でビラを配ったり拡声器で喋ったりするんです。ぼくが東京地裁に行ったときにもいて、蛭間隆也という現代にあまりいないタイプの寡黙で孤独な男が『門前の人』になるアイディアが生まれました」
他の国と比べても、日本の裁判官は数が少ないと言われる。激務をこなしながら、2009年に導入された裁判員制度にも対応し、雑誌の表紙にもなり、弁護士の夫との私生活でも隙を見せない完璧な礼子が、「自分は何か間違えたのかもしれない」と自問するところから、道ならぬ恋は始まっていく。
「大人が読める恋愛小説が書きたかった。パートナーがいても、誰かに惹かれてしまう、しかも軽い気持ちでなく惹かれてしまうとき、人はどんな風に感じ、行動するのか。理性が引き留めるのに、その線を越えてしまう。読んだ人が自分もこんな風に生きてみたかった、と思える小説を書いてみたかったんです」
冒頭に、悲劇的な結末が待っていることが示される。二人はどんな風に出会い、たがいに惹かれていったのか。悲劇にいたるまでの過程が描かれていく。
脚本を書いた瞬間に「こっちだな」と思った
執筆するときは、なるべく自分の無意識の部分を大切にしたかったと話す。
「最初に主な登場人物を書き出していったとき、片陵礼子、蛭間隆也、礼子の夫の片陵貴志、と書いていって、なぜか、礼子の伯母と書いたんですね。なんで母親より前に伯母って書いたんだろうと思って、伯母に育てられたという礼子の過去が浮かびました。
脚本を書いてきたから、『了』と打つまで無理やりにでもストーリーをつないでいくことはできるんですけど、そういうことはしたくなかった。多少、でこぼこしていびつでも、自分の感覚みたいなものを手探りしながら書いていくようにしました」