飲食店への制限の全面解除を発表する千葉県の熊谷俊人知事=10月20日午後、千葉県庁(時事通信フォト)
森山さんは、協力金のほぼ半分を、営業が再開できたとしても続くであろう、長い閑散期を乗り越えるための「蓄え」としていた。周囲の飲食店も同様で、中には「不景気で利率の安いローンに借り換えられる」、「不動産屋に家賃交渉ができる」と、ピンチを好機にすべく動いていた人間もいた。そんな準備を一切せず遊び呆け、いざ営業ができるようになっても材料を仕入れる金もない。そんな、協力金バブルに無意味に踊った経営者たちの店が増える可能性が高いのだという。
「開けてりゃどんな店でも人が入るってくらいの人出があれば別ですが、みなさんやはり慎重。客足だって、気の早いお客さんが戻ってきただけで、経営的にはかなり厳しい。僕らは乗り切る自信があるけど、ない人たちはもう店を畳む準備をしている。知り合いの不動産屋も、店子に逃げられると青い顔をしている。連鎖倒産みたいなことになって、通りから活気がなくなれば僕たちもまずいです」(森山さん)
待ちに待った「通常営業ができる」と喜ぶ誠実な飲食店が多いのは事実であろう。一方、真っ当にやってこなかった飲食店がこのまま沈んでいくのも理には適っているし、救済の必要はない、自業自得だと切り捨てられるのもごく自然なことだ。だが、後者のおかげで前者が巻き込まれてしまうような状況に陥れば、また議論は割れるだろう。
イソップ寓話の『アリとキリギリス』では、冬になって食べものを分けて欲しいと頼むキリギリスに対し、アリは「あなたは働く私たちを笑っていた。何の備えもしなかった」と見捨てる。だが現代では、ディズニーがアニメ映画に描いたように、アリがキリギリスに蓄えを分け与え、助けられたキリギリスが改心するという結末もある。コロナ禍の中で生じてしまった多くの歪みに対して、我々はどのような選択をして日常を取り戻し、未来へつなげるのか。