11月22日、国民栄誉賞の辞退が明らかになった日もジムへ
「もともとバドミントンの選手で、中学時代は全国大会で準優勝し、実業団でも活躍したスポーツウーマンです。幼い頃の翔平くんはお母さんのバドミントンの練習についていき、非凡なスイングを見せていたそうです。身長が170cmある加代子さんは自分も選手だったことから家族の健康管理に気を使い、必ず手作りの食事を食べさせていました」(大谷家の知人)
しかし、彼女は自分の考えを押し付けることは一切しなかった。
「明るく朗らかな加代子さんは楽しい雰囲気の家庭を作ることを心がけ、子供たちの自主性を何より尊重していました。だから食べ物の指図どころか、『勉強しなさい』と言ったこともないそうです。
夫婦のたった1つの決め事は、子供の前で夫婦げんかをしないこと。これも家のなかがどんよりとして、暗い雰囲気になることを避けるためでした。翔平くんは陽気な母親を慕い、高校時代に野球部の寮から実家に戻った際は、着る服がないからとお母さんのポロシャツを着て出かけていました」(前出・大谷家の知人)
天真爛漫な母の影響で翔平少年は明るく朗らかに育った。高校卒業後に日本ハムファイターズに入団し、ついには日本球界の宝として海を渡った息子を、母は応援し続けた。
「加代子さんは焼き肉店でパートをしていましたが、翔平くんが2018年にエンゼルス入りしたのをきっかけにお店を辞め、息子をサポートする体制を整えました。昨年と今年はコロナがあって現地で応援できなかった分、大仕事をやってのけて帰国した息子に寄り添い、栄養面だけでなく精神面のフォローもしているのでしょう。翔平くんはトレーニング以外でタワマンを出ることがほとんどないので、まさに母子水入らずの生活ですね(笑い)」(前出・大谷家の知人)
※女性セブン2021年12月9日号