「私はひとりの社会人として母と向き合いたい」
「彼女が本名の『神田沙也加』として芸能界に戻ってきたのは、翌2006年のこと。休止期間中は、『Lily』という名義でストリート系ファッション誌の読者モデルを務めたり、『上原純』というペンネームで聖子さんのシングル曲の作詞・作曲を行っていました。自分自身と向き合い、将来について考えていたようです」(前出・芸能記者)
2007年11月には、母娘の初ツーショットインタビューが『25ans』に掲載された。母親と同じ芸能という道を選んだ理由について、沙也加さんは〈あの環境で育って、表現することに憧れない、っていうほうが難しかったかもしれない〉と語っている。
当時の母娘はまるで友達同士のような関係で、仕事以外の話題では、しっかり者の沙也加さんが聖子の相談に乗ることもあったという。
〈聖子「きっと沙也加が頼れるルームメイトみたいな気持ちになって、スイッチが入っちゃうのね」
沙也加「そうそう。そんなときにふと、私も母と同じ顔して笑っていることに気がつくんです。ああ、母娘だな、って思っておかしくて。私もますます楽しくなります」
(中略)
聖子「最近はあなたが舞台に向かうとき、いつも“いってきまーす”って言うでしょ。そのときこそ、本当に楽しそうで、同時に頼もしいと感じるの。あんなに小さかった娘がこんなに成長したんだと、感慨深いですね」〉
2010年代に入り、沙也加さんの芸能人生は大きく動き出す。別の芸能関係者が語る。
「もともとアニメ好きの沙也加さんは、2012年、テレビアニメ『貧乏神が!』で声優デビューを果たしました。女優業と並行して、1年以上前から声優の専門学校に通っていたそうです。そして2014年、ディズニー映画『アナと雪の女王』のアナ役の日本語吹替え声優を担当したのは、誰もが知るところです」
自信を得たことで、沙也加さんも母親と対等に向き合う意識が強まったようだ。