競う相手なのに、永瀬はなぜだか嬉しそうだ。
「棋士全員の一番の長所を持てたら強いですよね。例えば渡辺名人だったら戦略性がトップです。そういう長所を藤井さんはいくつも手にしているんですよ。まるでドラゴンボールを集めるみたいに」
そういって永瀬は「ハハハ」と笑った。ちなみに永瀬の「一番の長所」は何だろう。「うーん、体力かな」と苦笑する。なるほど毎日朝から晩まで元気に練習将棋を指せるのは永瀬だけだろう。
「でも、その都度体力が完全に回復しているわけではない。回復したらすごいと思いますけどね。自分は精神を肉体から分離させて無になっているだけなので」
「無」という表現は難しいが、将棋以外は考えない没入の境地のようだ。
藤井がいくら強いと言っても、最初から練習将棋で10歳年上の永瀬に勝てたわけではない。
「最初の10局の勝率は自分がはっきりよかったです。ただ次第にいい勝負になって、いつの間にか分が悪くなっていました」
藤井の成長に永瀬が目を見張ったのは、2020年の4、5月。最初の緊急事態宣言が発出された頃だ。
「藤井さんは(公式戦が延期された)自粛期間をうまく使って、見違えるほど強くなりました。自分も現状維持ぐらいはできたんですけど、格段に強くなることはできませんでした」
緊急事態宣言が解除された直後に藤井は棋聖戦と王位戦の挑戦権を獲得し、二冠に輝いている。
「もしも同じことが起こったら、今度は自分もうまくやりたい。でも藤井さんは何事も一回目でうまくやってしまうんです。頭がいいんでしょうね」
(後編に続く)
【プロフィール】
大川慎太郎/将棋観戦記者。1976年生まれ。出版社勤務を経てフリーに。2006年より将棋界で観戦記者として活躍する。著書に『証言 羽生世代』(講談社現代新書)などがある。
※週刊ポスト2022年1月28日号