ジュニアグランプリ(JGP)ファイナル優勝。史上最年少だった。2009年(写真/アフロ)
都築コーチの指導でメキメキ頭角を現した羽生は、2004年に初めて出場した全日本ノービスB(小学3〜4年生のクラス)で優勝し、9才で金メダルを獲得した。同年にはフィンランドにも遠征して、タンペレサンタクローズ杯ノービスA(小学5〜6年生のクラス)で優勝した。11才のとき、宮城テレビから「天才スケート少年」として取材を受けた際、将来の夢を聞かれた羽生は、ここでも「オリンピック金メダル!」とはっきり答えている。
躍進する彼を、家族は一丸となって支えた。世の中には数多のスポーツが存在するが、フィギュアスケートという競技の金銭的負担はトップクラスといわれる。レッスン費用に加え、スケートリンクのレンタル費用、スケート靴や衣装代、それらのメンテナンス代などで、1人につき年間100万円はかかってしまう。
特別に裕福だったわけではない羽生家にとって、負担は決して軽くなかった。しかし、羽生の才能と「五輪優勝」という夢を信じ、羽生家は家賃5万円の県営住宅に住み、試合の衣装はすべて母親が手作りした。姉は大学受験を機に自分が選手として大成する夢を諦めて、弟のサポートに徹するようになった。
(第3回に続く)
※女性セブン2022年2月17・24日号
ジュニア時代の羽生。プルシェンコに憧れて“マッシュルームカット”にしていた。2009年(写真/アフロ)
全日本ジュニア選手権(2009年)2連覇。写真左から中村健人、羽生、宇野昌磨(写真/アフロ)
東日本大震災後、荒川静香(写真右)らとともに募金を呼びかけた。2011年(共同通信社)
オーサーコーチに師事した翌年、グランプリファイナルで初優勝を果たす。2013年(写真/GettyImages)