これは英語で「持続可能な」という意味で、自然資源を枯渇させず、環境破壊をしないで、いつまでも続けられる暮らしという意味なんだって。ちなみにもう1つよく耳にする“SDGs”は国連が決めた「持続可能な開発目標」のこと。
これができたら、こんなにいいことはない。でも、もう無理なんじゃないか。手遅れなんじゃないかとどっかで私は諦めてもいたんだと思う。
というのも実は私、3年前から海ゴミ拾いに2回と、街ゴミ集めにも参加しているの。
街は根気よくゴミを集めたらきれいになりそうな気がするけど、深刻なのは海の方よ。海といえば、はだしで砂浜を走るというイメージを持っていたらとんでもない。
あちこちに光っているのは貝殻かしらと思って近づくと先のとがったプラゴミの破片だったりして、これじゃビーチサンダルだって危なっかしくて歩けないって。
こんなことになってしまっているいま、ゴミを捨てない、特にプラスチックは極力捨てないというのがサステナブルな暮らしの最も“キモ”になるところと聞いて、まず私が思い浮かべたのが昭和30年代の茨城。
つい最近まで元気だった93才の母親は「生ゴミは畑に捨てろ」と言うし、燃えるゴミも「畑を掘って燃やせ」。ゴミ収集日にゴミを出すのをなぜそんなに?と思うほど嫌ったの。しかし畑に捨てろはともかく、問題は「燃やせ」の方。すぐに消防が飛んできてきつく叱られるんだわ。
そういえば夏は、蚊取り線香代わりに松の青い葉を七輪で焼いて大量の煙を出して家中の蚊を追い出していたのよ。
そんなわけでサステナブルな暮らしは、わがDNAに組み込まれているハズ。なーに、都会でだってできるはずよ。だいたい食品を買っただけなのに大量のプラゴミを抱え込むことになるなんて、どっかおかしいのだから。
とにかく家にゴミを持ち込まないためにはどうするか。編集担当で一緒に海ゴミ拾いにも行ったMさんに相談したら、「昔はボウルを持ってお豆腐屋さんに行きましたよね」と言う。
それをいま、やれと?
私の住む街には「はい、お豆腐一丁ね」と売ってくれる個人商店はなく、食品の買い出しはスーパーかデパ地下。
ここに密封容器を持っていって、食品だけを買って帰りたいと言ったらどうなるか。
というわけで、Мさんと私はいつも行くスーパーの『ライフ』から攻めてみた。幸い、鮮魚売り場には品出しをしているお兄さんがいる。きちんと容器に入れてラップで包まれているおいしそうなまぐろのぶつを選んで、「これを、こっちの持参の容器に入れて帰りたいのですが可能ですか?」と聞くと、「あ、いいですよ」とあっけないほど即OK。