後輩として西郷さんの背中を追いかけ続けた俳優の森田健作(72才)は、そのすごみを間近で目撃したと回想する。
「憧れの先輩だった西郷さんと初めて対面したのは1970年に雑誌『週刊平凡』のグラビア撮影でのこと。当時のサンミュージックの相澤秀禎社長が運転するアメ車・サンダーバードでさっそうと撮影場所に現れ、車から降りてきた姿からは“これがスターなんだ”と一目でわかるような光り輝くオーラを感じました。
その後、ぼくがテレビドラマに出るようになって知名度が上がってきたときに相澤社長から、『みんながきみを新スターと言っているけど、きみはたんなる一時の有名人だ。スターというのは西郷のことだよ』と言われたのも印象深いです。
映画に出れば主役、テレビに出ても主役、舞台では座長、歌を歌えばヒットを出してコンサートもする。この5つを制覇して初めてスターと呼べるのだと言うのです。あの日の西郷さんの姿と、いまにいたるまでの活躍ぶりを思うと、本当にその通りだと痛感します」(森田)
歌も演技もこなした御三家はこの“スターの定義”にぴったり当てはまるが、なかでも最もマルチな才能を発揮したのが西郷さんだった。作詞家で、西郷さんに歌詞を提供した経験もある湯川れい子さんはいう。
「1960年代初頭の石原裕次郎さんや小林旭さんの活躍で、映画の中で俳優が歌うことが一般化されました。そこで鹿児島の高校を中退し、もともとは日活俳優を目指して家出したという経歴のある西郷さんに、いち早く映画出演の声がかかった。
最初は歌ありきの『歌謡映画』でしたが、次第に大河ドラマから時代劇の髷物までこなすようになり、その演技力は高く評価されました。舟木さんと橋さんも舞台やドラマに出演しますが、3人のなかで最も広い範囲に翼を広げたのが西郷さんでした」
俳優業に身を投じると、男性ファンも増えていった。
「それまで女の子たちがキャーキャー言っているイメージだった西郷さんのかっこよさに気づいたのは、1973年の『どてらい男(ヤツ)』(フジテレビ系)でした。大阪の機械工具総合商社『山善』の創業者・山本猛夫がモデルの主人公は、とにかくエネルギッシュでかっこよかった。
決めぜりふの『よーし、やったるわい!』は元気を出したいときによく真似していました(笑い)。このドラマに触発されて、会社を辞めて起業を決意した同僚もいました」(60代男性)
※女性セブン2022年3月31日号