「彼女は東京の下町生まれ下町育ちの生粋の江戸っ子。宝塚にはお嬢様が多いのですが、彼女はごく普通の家庭の出身で、庶民的で人情に厚い。宝塚時代のファッションも、ほかの人たちがハイブランドを着こなすなか、天海さんだけはジーンズにシャツというナチュラルなスタイル。そこがまたファンに好かれる点でした」(草葉さん)
熱烈なファンの存在が知られる宝塚にあって、天海はどのファンにも分け隔てなく接することでも知られていた。
「天海さんは宝塚時代から、お父さんに“100万円の何かをくれるかたも10円の飴をくれるかたも、お前を思う気持ちは一緒だから区別をしてはいけない”とよく言い聞かされていたそうです」(前出・ドラマ制作関係者)
1987年に宝塚歌劇団に入団した天海は、1993年に月組トップスターの座に上り詰める。初舞台からわずか6年半での抜擢は異例のことだった。
「先輩たちを“ごぼう抜き”してからも、天海さんは先輩たちへのリスペクトを持ち続けていました。だから追い抜いた先輩たちからもかわいがられていた。“私はトップよ”と自惚れることなく、荷物も必ず自分で持つ。そうした気性のよさやさまざまな面が合わさって、大先輩からも愛されているのだと思います」(前出・草葉さん)
ここ数年は年上だけでなく、年下女優たちからも「天海さんのおかげで……」「天海さんに憧れて……」という声が多く聞こえてくる。
「天海さんを慕う人は多いのに、派閥を作ったりせず、群れないということも天海さんの魅力です」(前出・テレビ局関係者)
年上にも年下にも好かれる天海。活躍はまだまだ続きそうだ。
※女性セブン2022年3月31日号