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【逆説の日本史】乃木希典が遺言書に記していた「大罪」とはなにか

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』(イメージ)

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』(イメージ)

 ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第九話「大日本帝国の確立III」、「国際連盟への道 その3」をお届けする(第1336回)。

 * * *
 明治四十五年七月三十日午前〇時四十三分、明治天皇は崩御した。この年は西暦で一九一二年だが、ただちに大正と改元された。そして、約一か月半後の大正元年九月十三日に大喪の礼が行なわれた。天皇の柩は古式にのっとり午後八時に御所を出発、葬儀場にあたる代々木の陸軍練兵場に向かった。

 現在この地には、明治天皇を御祭神とする明治神宮が造営されている。柩は葱華輦という天皇だけが使用できる特別な輿に乗せられた。天皇の輿には屋根に鳳の飾りがついた鳳輦(いわゆる神社の御輿はこれを模したもの)とネギの花(葱華)の飾りがついた葱華輦とがあるが、いつのころからか天皇の移動にあたって葱華輦は吉事では無く凶事に用いられるようになった。

 なぜ「ネギの花」なのか来歴は不明だが、この植物が持つ強い再生力にあやかったという説もある。大喪においてこの葱華輦を担ぐ役割を後醍醐天皇以来代々務めてきたのが、比叡山のふもとに住む八瀬童子と呼ばれる人々である。このときも彼らは馳せ参じ、大喪終了後埋葬地の伏見桃山陵までお供を務めた。ちなみに伏見桃山陵は戦国時代豊臣秀吉が隠居城の伏見城を築いた丘にあり、大地震の時謹慎中だった加藤清正が駆けつけた「地震加藤」のエピソードがあった場所でもある。

 明治天皇がなぜ東京では無く京都に葬られたのかと言えば、生前からその希望を口にしていたからである。存命中の天皇は、側近から強く勧められても京都に滞在しようとはしなかった。自分は日本近代化のため東京にとどまらなければならない、という意識が強くあったのだろう。

 明治維新直前に江戸は東京と改称され徳川氏が駿府に退くことによって皇室の所有地になったわけだが、その東京はあくまで京都とともに日本の首都であるという意識が強くあった。天皇が正式に東京に移ってからも東京奠都(そこを都と定める)という言葉が使われた、これは遷都(完全な首都の移転)では無い。ということで、じつは大日本帝国の法律にも日本国の法律にも「東京を日本の首都とする」という文言は無い。このあたりは意識的にあいまいにされたフシがあり、そのなかで明治天皇はやはり「故郷で永眠したい」と考えられたのだろう。このあたりが、東京で生まれ東京の郊外(多摩御陵)に葬られた息子の大正天皇との違いである。

 沿道には葬列を見送る陸海軍の部隊そして群衆がひしめき合い、立錐の余地も無かったという。そして、葬列出発を知らせる号砲が鳴り響いたのを合図に夫婦ともに自刃、つまり天皇に殉死した男女がいた。陸軍大将にして学習院院長の乃木希典と妻静子である。乃木は六十二歳、静子は五十二歳(ともに満年齢)だった。

 さまざまな史料、報告によれば、天皇が危篤に陥ったときもっとも参内を繰り返し崩御のときも御所内にいた乃木は、その後は病がちと称し本来協力すべき大喪にも積極的にかかわろうとはしなかった。そして大喪当日にも沿道に出ることも無く、東京市赤坂区新坂町(当時の地名)の自邸に引きこもっていた。ちなみに、現在この地は東京都港区赤坂八丁目だが、乃木神社が建立され新坂は乃木坂と改称されている。もちろん乃木は病気などでは無く、遺言書を書くなど殉死の準備を整えていたのだ。

 念のためだが、「殉」にはそれだけで「死ぬ」という意味がある。だから、かつての「隠れキリシタン(潜伏キリシタン)」が信仰を捨てることを拒否して処刑されれば「殉教」になり、警察官が職務執行中に犯人に発砲されるなどして落命すれば「殉職」になる。「殉死」では無い。では、あらためて「殉死」とはなにかと言えば、主君への忠義を尽くすために「お供」して自死することだ。「殉教」「殉職」が「他殺」であるのに対し「殉死」はあくまで自殺だ、そこが違う。

 殉死の習慣はかつて世界中にあった。琉球王国では貴人が死ぬと側近が殉死を強いられるという習慣が近世まであったことはすでに述べた(『逆説の日本史 第14巻 近世爛熟編』参照)が、この習慣は古代日本ではわりと早く廃れた。その理由は決して人道的見地からでは無くもっと「合理的」な観点からで、たとえば当主が若くして死んだ場合側近の優秀な家臣が次々に殉死してしまうと、残された後継者(当然若い)を補佐する人材がいなくなってしまい、かえって国家が弱体化するからだ。

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