ノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎・プリンストン大上席研究員。記者会見での「日本に戻りたくない」発言は米国ではジョークとして受け取る人も多かったようだが……(時事通信フォト)
孫に工学部なんて私は勧められません
「メイド・イン・ジャパンは誇りでした。それがコストに見合わないから手を抜けとなり、手を抜きたくないのに予算を削られて、目をつけられれば営業にまわされる。営業も立派な仕事ですが、技術者にやらせるべきことは他にもあるでしょう。海外生産は仕方ないにしても、メイド・イン・ジャパンの技術だけは守らなければならなかった。それなのに、目先の利益と老後の逃げ切りだけを考えた経営陣や事務屋に滅茶苦茶にされたのです」
こうした技術者の受難は1990年代以降、日本の「ものづくり」衰退と比例するかのように繰り返されてきた。
「飛ばされた先の若い上司に『みなさんパソコンを学ぶように』って言われたときはさすがに苦笑しました。なにを偉そうに、俺たちはパソコンどころかマイコンそのものを一からはんだで作ってたぞ、って。まあ、リストラのための嫌がらせなのでしょうが」
もちろんパソコンが得意どころか黎明期から仕事道具でもあり趣味でもあった技術者ばかり、年齢だけでこうした判断をすることはエイジズムと呼ばれるが、これはおっしゃる通りの嫌がらせだろう。日本企業は失われた30年、まるで粛清のように「追い出し部屋」と呼ばれる部署に追いやったりもした。日本IBMやリコーなど名だたる企業がこの件で敗訴したが、研究者や技術者も無縁でなかった。ものづくりのプライドをズタズタにされた。それでうまくいったのなら構わないが、その場しのぎのリストラに過ぎなかった。多くのメーカーが中台韓の傘下、もしくは事業そのものの切り売りを続ける羽目となった。
「孫は国立の医学部に行きました。工学部なんて勧められません。それでも工学やりたいのなら日本なんて早めに脱出したほうがいいですね。いや、医療以外の理系全般かな」
ものづくりの大先輩からこうした声を聞くのは悲しいが、現実であり実感なのだろう。ノーベル物理学賞の眞鍋淑郎博士に「I don’t want to go back to Japan(私は日本に戻りたくありません)」とまで言われてしまった日本。本稿はただ一人の技術者の話かもしれないが、現に日本の理系の現場が蔑ろにされ続けてきたことは事実。蔑ろといえば理研が600人の研究関係者を雇い止めにする、事実上のリストラをすることについてはどうか。
「驚きません。日本はそういう国ですよ。私もそうでしたから」
メーカーがわかってしまうため詳しくは書けないが、研究所と企業の違いはあるにせよ、彼もそうした目に遭ってきた。
「理研に入れるってすごいことですよ。私の大学の出身者にもいますが頭の作りが全然違う。研究主宰も(雇い止めの中に)いるのでしょう? その下の研究者も含めて海外に出るでしょうね、日本企業は年食った研究者や技術者、とくに基礎(科学・研究)は雇いませんから。日本が心配ですよ」