プライベートでは1978年に俳優だった郷さんと結婚。これを機に郷さんはちあきの個人事務所の社長兼プロデューサーとなり、夫婦は公私ともに充実した日々を過ごした。当時から神秘に包まれていた彼女の素顔を、元マネジャーで『ちあきなおみ 沈黙の理由』(新潮社)の著者である古賀慎一郎さんが明かす。
「最初は怖いイメージがあったけど、実際に会ってみると気さくで芸能人らしくなく、おごりがなく本当にかわいらしい人でした。ドラマのロケで遊園地に行った際は空き時間に『ジェットコースターに乗りたい』と子供のようにキャーキャー騒いでいました」
しかし、郷さんががんを患うと幸せな生活は一変する。精魂込めて懸命に看病するちあきの姿に、病院は「夫が亡くなったら後を追うかもしれない」と警戒し、病室の窓が開かないよう全面テープ貼りにした。必死の看病も実らず、1992年9月に郷さんが他界すると、ちあきは火葬場で棺にしがみついてこう繰り返したという。
「ごめんなさい……ごめんなさいね」
スタスタと早歩きで元気そのもの
ふたりの絆について、古賀さんが振り返る。
「結婚後、ちあきさんと郷さんは2人で1人のように生きていて、夫婦というよりも戦友でした。『私は郷さんのために歌っていた』といって聞かない彼女は、夫がいなければ歌うことはできなかった。郷さんの死後、私が『ちあきさん自身が自分をプロデュースすればいいじゃないですか』と水を向けても、彼女は『自分の好きなものしかやらなくなる』と言って、歌手活動を再開しようとはしませんでした」
その後、彼女は長い沈黙期間に入った。「もう、ちあきなおみはいないのよ」という言葉を残して──。
「私はちあきさんが活動休止してから7年間、マネジャーとしてお仕えしました。この間、彼女は買い物などをのぞいてほとんど外出しなくなり、家のなかで自分と向き合う時間が増えました。郷さんを供養しようと仏門に興味を抱いて、家でひたすら写経することもありました。
一方でお墓参りは欠かさず、郷さんが亡くなってから6年ほど経っても、毎日のように墓参を続け、毎回1時間ほどかけて、墓前で亡き夫と会話をしていました」(古賀さん)
当時は、人目を忍び、人通りのある時間帯に表に出ることは多くなかったが、健康面での問題はなかったという。