セルシオ
八月二八日午後。東京・千代田区のNHK千代田放送会館で、日曜日に放送する討論番組『政治改革の中身を問う』の事前収録が行なわれた。小沢や三塚博・自民党政調会長のインタビューのためだ。
細川政権は、政治改革関連法案を出し直す方針だ。これにどう対処するのかという問いに小沢は、
「自民党の案が出てくれば話し合うのは当然だ」
と柔軟姿勢を示す一方で、
「考えられないような妨害、阻止があれば国民に信を問うことがあるかもしれない」
と成立が危うくなれば解散もあり得ると発言した。野党ながら衆院で第一党の勢力を持つ自民党へのけん制だが、果たしてそれだけなのか、私は気になった。
収録が終わると小沢は上機嫌で放送会館の玄関に向かった。NHKの幹部や担当者が見送る中、セルシオに乗り込もうとする小沢に「私もいいですか」と聞くと、小沢は小さくうなずいた。
反対側のドアから後部座席に体を滑り込ませる。私が「どうも」と言うと、小沢は「おう」と言った。それを合図にセルシオは走り出した。「246」を西に走り駒沢通りに入って深沢に向かう。
去年までは毎朝のようにこの逆コースを「ハコ乗り」していた。気難しい小沢だが、なぜか車に同乗して取材する「ハコ乗り」は認めていた。朝、永田町に向かう三十分、じっくり話が聞ける貴重な取材機会だ。ただし、乗れるのは二人まで。私たちは先着二人までというルールを決めていた。
小沢に食い込むために、他に有効な手段を思いつかなかった私は、とにかく早起きレースに勝つことを自分に課した。七時前に深沢に着けば、たいていは二着に入れたし、中には小沢と話すのが苦手だと言って順番を譲ってくれる記者もいた。乗れなかった記者にも、後で中身を教えるルールもあったが、自分の耳で聞いていない話は、所詮信用できない。
まだ三十代半ばだった私にとってもつらい毎日だったが、そうやって少しずつ小沢との距離を縮めてきたのだ。
そんなことをぼんやり思い出しているうちに、小沢のほうが話し出した。
「どうだ。俺が言った通りだろう。細川さんは見栄えがいいだけの飾りだという奴がいるが、あの度胸と決断力は大したもんだ。あのバラバラの八党派を一発でまとめるには細川さんしかいなかった」
残念ながら、私はそんな話を聞いた憶えはなかった。「『必ず羽田を総理にする』と言った後は、ほとんど潜っていたじゃないですか」と文句を言いそうになったが、それは飲み込んだ。
「自民党は解散を嫌がるでしょうが、むしろ社会党や武村さんのほうが抵抗すると思います。そちらのほうが厄介じゃないですか」