夏井先生の解説を聞いていると、大切なのは表現者としての彼らと詠まれた俳句、詠んだ時の思いなのだと気付かされる。作者が表現したいことと選んだ言葉や季語がマッチしなければ、いい俳句は生まれない。夏井先生は、相手を罵倒しながらも作者の思いを大事に、魅力ある句にするためのプロセスをわかりやすく説明する。だから夏井先生の発言はどんなに容赦がなくても、単なる毒舌ではなく”愛ある毒舌”と評される。
ジャニーズのメンバーにも人気アイドルにも辛口査定する夏井先生だが、彼女の毒舌には俳句を中心とする枠がきちんと設定されている。表現者が与えられたお題からどんな発想を飛ばしたのか、どんな情景を思い描いたのか、それを詠むためにどういう言葉を選んだのか、どの季語を当てはめたのか。それについては言いたい放題なのだが、その人の性格や人間性を批判するようなコメントはしない。
あくまで添削するのも批評するのも俳句なのだ。飾ることのない手厳しいほどの率直さから、俳句のセンスと技法を身につけてもらいたい、俳句を楽しんでもらいたいというガチな思いが伝わってくる。だからどんなにずけずけと遠慮がなくても、夏井先生の毒舌は炎上しない。
才能ありの素晴らしい句には賛辞を惜しまず、勉強の跡が見える句には誉めることも忘れない。辛辣な言葉と手放しの賛辞。そのギャップがあるからこそ、人は認めてもらいたくなるし、認めさせたくなるのだろう。出演者たちの本気度が見えるから、夏井先生の査定はますます面白くなる。
テレビの前に座りながら、たった17音からなる言葉が、こんなにも自由で色鮮やかで感情豊かな世界を作り出すことを、夏井先生に教えてもらった。だが残念なことに、いざ自分で俳句を作ろうとしても、なかなか自由な発想は飛ばせない。どうやら私は才能なしのようだ。