ライフ

【逆説の日本史】幸徳秋水は本当に「いまの天皇家は北朝の子孫だ」と言ったのか?

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』(イメージ)

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』(イメージ)

 ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第九話「大日本帝国の確立IV」、「国際連盟への道2 その2」をお届けする(第1347回)。

 * * *
 幸徳秋水の処刑からしばらくしてのことである。幸徳が取り調べの官憲に対して、「いまの天子は、南朝の天子を暗殺して三種の神器を奪い取った北朝の天子(の子孫)ではないか」と言った、という噂が流れた。

「いまの天子」とは当時の今上天皇すなわち明治天皇のことだが、あくまで噂であり公式の調書や裁判記録でその発言を確認することはできない。では、そんな発言は無かったのかと言えば、あったに違いないと私は思う。いかにも古今東西の歴史に通じ反骨精神の持ち主である幸徳が口にしそうなことだ。おそらく、この言葉を聞いた取り調べ側は「あまりに畏れ多い」とばかりに記録はしなかったが、やはりそのなかに「後世に伝えるべき」と思った人間がいたのではないか。「後世に伝えるべき」では無く、「幸徳はこんなにトンデモナイヤツだ(だから死刑は当然だ)」という意図だったかもしれないが、この発言はまったくのデタラメと切り捨てることはできない内容を含んでいる。

 南北朝時代のことをこの『逆説の日本史』で書いたのは、ずいぶん前(『第7巻 中世王権編』)のことだが、覚えておられるだろうか。室町時代初期のことである。すべては後醍醐天皇という我欲旺盛な人物から始まった。後醍醐は日本初と言ってもいい、権力者にして朱子学信者だった。だから「覇者(武力陰謀によって天下を取った者)」に過ぎない鎌倉幕府が、正統な権力者である「王者(徳をもって世を治める者)」の天皇家を蔑ろにして日本を支配するのは許せない、と立ち上がった。いわゆる尊王斥覇の思想である。

 そもそも、自分が「有徳者」だと信じて疑わないところがいかにも後醍醐なのだが、軍事政権である鎌倉幕府を倒すには軍事力がいる。そこで、当初は朱子学の「同志」とも言える楠木正成が奮戦し、後に幕府の大物である足利尊氏が後醍醐陣営に加わったことにより後醍醐の倒幕は見事成功した。建武の新政である。

 しかし、後醍醐はもう一つ野望を抱いていた。権力から武士をでき得る限り排除することである。鎌倉時代以降、日本の軍事・警察そして通常の行政も武士が仕切っていたから、そんなことは現実的には不可能である。それなのに後醍醐がなぜそんな野望を抱いたかと言えば、後醍醐も所詮は神道の信者であり、取り巻きの公家と同じく「死のケガレに日常的に触れている武士は、神聖なる日本国を治めるべきではない」と考えていたからだ。

 天皇あるいは貴族は「ケガレ忌避思想」の信者であるからこそ、平安京の時代にすでに桓武天皇が軍事権を放棄してしまった。これが日本史最大の特徴で、天皇という権力者が軍事権を放棄したのに、その「丸腰の天皇」を天皇家以外の者が討てなくなった。なぜ討てなくなったかと言えば、天皇が神の子孫であるとの信仰が完全に確立したからである。

 しかし天皇家(朝廷)が軍事から手を引いたことによって、実際に軍事力を保持している人間(将軍あるいは執権)や組織(幕府や信長・秀吉の政権)が日本を実質的に統治することになった。これが武家政治である。朝廷はそもそも軍事警察などといった「ケガレ仕事」には関心が無い。それゆえ、そうした「業務」は幕府に任せ、朝廷は花鳥風月を愛でていればよいとの分業体制(朝幕並存)ができていたのに、後醍醐は無理やりこれを壊そうとしたのである。当然失敗する。

 最初は後醍醐の意向を尊重していた足利尊氏も、ついに反旗を翻し後醍醐を追放し、新しい幕府を建てた、室町幕府である。それを絶対許せないと考えた後醍醐は、皇位の象徴である三種の神器を持ち去り吉野に亡命政権を樹立した。これが後に南朝と呼ばれる。一方、京都では武士の第一人者が天皇によって征夷大将軍に任命されたという形を取らねば幕府を開けないので、足利尊氏は反後醍醐派の皇族をかつぎ上げ、天皇に即位させた。「神器無き天皇」の朝廷、これが北朝である。その後醍醐はとうとう幕府および北朝を倒せず、吉野の山奥で深い怨念を抱いて死んだが、皇位と三種の神器は子孫に受け継がれた。

関連キーワード

関連記事

トピックス

(EPA=時事)
《2025の秋篠宮家・佳子さまは“ビジュ重視”》「クッキリ服」「寝顔騒動」…SNSの中心にいつづけた1年間 紀子さまが望む「彼女らしい生き方」とは
NEWSポストセブン
イギリス出身のお騒がせ女性インフルエンサーであるボニー・ブルー(AFP=時事)
《大胆オフショルの金髪美女が小瓶に唾液をたらり…》世界的お騒がせインフルエンサー(26)が来日する可能性は? ついに編み出した“遠隔ファンサ”の手法
NEWSポストセブン
初公判は9月9日に大阪地裁で開かれた
「全裸で浴槽の中にしゃがみ…」「拒否ったら鼻の骨を折ります」コスプレイヤー・佐藤沙希被告の被害男性が明かした“エグい暴行”「警察が『今しかないよ』と言ってくれて…」
NEWSポストセブン
指名手配中の八田與一容疑者(提供:大分県警)
《ひき逃げ手配犯・八田與一の母を直撃》「警察にはもう話したので…」“アクセルベタ踏み”で2人死傷から3年半、“女手ひとつで一生懸命育てた実母”が記者に語ったこと
NEWSポストセブン
初公判では、証拠取調べにおいて、弁護人はその大半の証拠の取調べに対し不同意としている
《交際相手の乳首と左薬指を切断》「切っても再生するから」「生活保護受けろ」コスプレイヤー・佐藤沙希被告の被害男性が語った“おぞましいほどの恐怖支配”と交際の実態
NEWSポストセブン
国分太一の素顔を知る『ガチンコ!』で共演の武道家・大和龍門氏が激白(左/時事通信フォト)
「あなたは日テレに捨てられたんだよっ!」国分太一の素顔を知る『ガチンコ!』で共演の武道家・大和龍門氏が激白「今の状態で戻っても…」「スパッと見切りを」
NEWSポストセブン
2009年8月6日に世田谷区の自宅で亡くなった大原麗子
《私は絶対にやらない》大原麗子さんが孤独な最期を迎えたベッドルーム「女優だから信念を曲げたくない」金銭苦のなかで断り続けた“意外な仕事” 
NEWSポストセブン
ドラフト1位の大谷に次いでドラフト2位で入団した森本龍弥さん(時事通信)
「二次会には絶対来なかった」大谷翔平に次ぐドラフト2位だった森本龍弥さんが明かす野球人生と“大谷の素顔”…「グラウンドに誰もいなくなってから1人で黙々と練習」
NEWSポストセブン
小説「ロリータ」からの引用か(Aでメイン、民主党資料より)
《女性たちの胸元、足、腰に書き込まれた文字の不気味…》10代少女らが被害を受けた闇深い人身売買事件で写真公開 米・心理学者が分析する“嫌悪される理由”とは
NEWSポストセブン
国宝級イケメンとして女性ファンが多い八木(本人のInstagramより)
「国宝級イケメン」FANTASTICS・八木勇征(28)が“韓国系カリスマギャル”と破局していた 原因となった“価値感の違い”
NEWSポストセブン
今回公開された資料には若い女性と見られる人物がクリントン氏の肩に手を回している写真などが含まれていた
「君は年を取りすぎている」「マッサージの仕事名目で…」当時16歳の性的虐待の被害者女性が訴え “エプスタインファイル”公開で見える人身売買事件のリアル
NEWSポストセブン
タレントでプロレスラーの上原わかな
「この体型ってプロレス的にはプラスなのかな?」ウエスト58センチ、太もも59センチの上原わかながムチムチボディを肯定できるようになった理由【2023年リングデビュー】
NEWSポストセブン