ネット上の過激な議論も立派な暴力。惑わされないことが、心と命を守ることにつながる(写真/Getty Images)
少しずつ背景が明らかになるにつれ、今回の事件についてSNS上にあふれているのは「人殺しは死んでしまえ」「つらい目に遭ってきたなら、元首相を殺してもいい」といった、あまりにも偏った意見。いずれも、目を覆いたくなるような過激な言葉が使われていることも少なくない。
「犯行を糾弾する気持ちも、容疑者の過去に同情する気持ちもあるでしょう。しかし、いずれの意見も、ネット上で強い言葉で発信すべきではありません。
こんな人間は死んでしまえと非難すれば“じゃあ死んでやるよ、お前たちを巻き込んでな”と、ローンウルフ(一匹狼)を刺激する。殺してもいいと擁護すれば“自分も不幸だから、人を殺そう”と後押しすることになる。容疑者の過去と犯した罪は分けて考え、どんな意見を持つとしても、極端な発信は避けるべきです」
いやでも目に入ってくるショッキングな画像や過激な言葉に触れないようにするだけでもいい。ITジャーナリストの三上洋さんは言う。
「荒れたSNSを見ると、心が荒むだけでなく、負の感情をあおられて、議論に加担しかねません。大きな事件があったときなどは、SNSやネットから離れる時間を持つのが効果的です。スマホのホーム画面から一時的にアプリのアイコンを隠すだけでも充分です」
恐怖を拡散することも、怒りのままにわれを忘れることも、暴力に屈し、助長しているのと同じこと。それでは、テロリストたちの思うつぼだ。私たちは、権力も武器も持たない一般市民だ。だからこそ、この声は、国さえ動かす大きな正義にも、銃より凶悪な兵器にもなり得るのだ。
※女性セブン2022年8月4日号