5月場所で早々に負け越しが決まった大関・御嶽海(写真/共同通信社)
いかに横綱と対峙したかで、“大関としての価値”は左右されるわけだ。
大鵬・柏戸の時代の清國がいれば、北の湖・輪島の時代の貴ノ花がいる。そして、最強力士の座が北の湖から千代の富士へと移り変わる1980年代には、大関に北天佑、朝潮、若嶋津、琴風が並び、“花の大関4人衆”と呼ばれた。
「いずれも安定した成績を残し、大関時代に優勝している力士だが、なかでも“北海のシロクマ”の異名を取って人気を博したのが北天佑。同部屋の北の湖や増位山に鍛えられて出世街道に乗った。千代の富士や北尾との熾烈なライバル関係で土俵を沸かせました。ケガもあって30歳で引退したが、当時史上2位の大関在位44場所を記録しています」(ベテラン記者)
やはり、貴景勝や正代、御嶽海は、彼らと比べて見劣りしているように感じられてならない。杉山氏は嘆息する。
「70年間、現場で相撲を見続けてきただけに、残念であり、歯がゆい。大関が強い時代は相撲が面白いんです。彼らは優勝できなくても、終盤に波乱を起こす。平幕が横綱と優勝争いをしていてはダメなんです」
※週刊ポスト2022年8月5・12日号