1992年の合同結婚式に参加した桜田(時事通信フォト)
そんなある日、出前の注文が入ったからオレンジフロートを事務所に運んでいったら、彼女はインタビューを受けている真っ最中。すると出し抜けに、「この子、ジャーナリスト志望なんですってよ〜」と言い出したんだわ。それを聞いたインタビュアーは「へっ? ハハハ、そりゃ無理だ」と笑い出したの。淳子も一緒に笑う。部屋から出ていく私の背中に何人かの嘲笑が降りかかった。悔しくて店のトイレに駆け込んで泣いたっけ。
それから15年後の1992年、社会問題になった統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の信者であることを桜田淳子が明らかにした。それを私は「らしいな」と思ったの。その少し前に私は街で勧誘されて、ビデオセンターで“教え”を聞いていたんだけど、そこにいた信者たちに共通するように思えた“ある種の透明感と世間知らずぶり”が、彼女とピッタリ重なったのよ。
ただ1つの大きな違いは、一般の信者と桜田淳子では、社会に与える影響が桁違いなこと。彼女にはそれがわからなかったか……。
その後、折々に知り合った統一教会の人たちは、1人の例外もなく“いい人”だった。でも、その人たちが、創始者の文鮮明氏を「お父さま」と言ったとたん、人が変わるように思えた。話せばわかるというけれど、聞けば聞くほど私にはわからない。統一教会に限らず、信仰を持つということはそういうものといえばそれまでだ。距離を置くしかない。
でも、それは他人だから言えることで、もし肉親が「子供より大事なものがある」とか、「お金を差し出せば差し出すほど幸せになる」などと言い出したら、家族はどれだけ寂しいか。
もちろん、その類いの寂しさが安倍元総理に銃を向ける理由にはならない。けれど、取り返しのつかない大事件を起こした山上徹也容疑者の幼い泣き面をニュースで見るたびに考えちゃうんだわ。
「いい人」とは何か。それを取り込む新興宗教とは何か。あの日から答えの出ない底なし沼に吸い込まれている。
【プロフィール】
「オバ記者」こと野原広子/1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。
※女性セブン2022年8月11日号