「喜びと淋しさが循環している」
放哉や山頭火の名句を紹介した新刊『孤独の俳句』(金子兜太・又吉直樹共著、小学館新書)では、1句ごとに解説が付されている。
たとえば、前掲の放哉の句(こんなよい月を一人で見て寝る)について、放哉好きを自認している「ピース」又吉直樹氏はこんなふうに読み解いている。
〈一人で月を眺めていて、「よい月だな」と感慨にふけることがある。一人だからこそ月と対峙できるわけであり、その光を贅沢に浴びることができるわけだが、どこかでこの喜びを誰とも分かち合うことができない淋しさも感じてしまう。「一人で見て寝る」という響きにはそんな淋しさも含まれている。一人だからこそ感じることのできた喜びと淋しさが句の内部で循環している〉(又吉氏)
また、先の山頭火の句(どかりと山の月おちた)は、現代俳句の泰斗として知られる金子兜太氏が生前、こんな解説を残している。
〈1932(昭和7)年9月14日の句。其中庵に入る日が間近に迫り、若い俳句仲間が庵の修理などをしてくれた。[中略]そんな日、待宵の月を眺めての句。「どかりと」とは満月の大きさの感じであり、自分の胸のうちの充足気分でもある。そのせいか、月の句をたくさんつくっていた。山頭火にとっては、一時的ながらこのときはいい時期だったのだ〉(金子氏)
それぞれの解説を読むと、また違った味わいが出てくるようだ。