チェチェン、ジョージアにも軍事介入
政権就任後、プーチンは、2000年チェチェン、2008年グルジア(ジョージア)、2014年クリミアと軍事介入し、いずれも期待通りの成果をあげています。まさに「常勝」のリーダーなのであり、その度にロシア国民の間で支持率も上昇しました。
まずは、チェチェン紛争です。コーカサス地方のグルジアに隣接するチェチェンは、ソ連邦を構成するロシア共和国内の一自治共和国でした。1991年11月に独立を宣言しましたが、モスクワはこれを認めず、1994年12月にロシア軍が攻撃し、独立派は排除されました(第一次チェチェン紛争)。
1997年1月にロシア軍は撤退しましたが、その後、独立派が活動を激化させたため、当時のプーチン首相は、これをテロとして弾圧することを決め、1999年9月にはロシア軍が空爆を開始します。そして、2000年6月には暫定政府を設置し、その行政府長官に親露派のアフマト・カディロフを据えました(第二次チェチェン紛争)。
その後も、チェチェン強硬派によるテロが、モスクワをはじめ各地で猛威を振るいました。
アフマト・カディロフは2004年5月に爆弾テロの犠牲となり、息子のラムザン・カディロフが後を継ぎ、プーチンの忠実な代弁者としてチェチェンを統治しています。モスクワからの経済援助によって、カディロフはプーチンの意向に沿うような専制政治を展開しているのです。2022年のウクライナ侵攻でも、チェチェン人が様々な工作に携わっています。
次はグルジアです。2008年に南オセチア紛争(ロシア・グルジア戦争)が起こります。コーカサスには約30もの民族が住んでいますが、言語も宗教も風習も多様です。グルジアには、親露派で(グルジアからの)分離独立を唱える南オセチアとアブハジアが存在しています。
2008年8月7日の午後、グルジア軍は南オセチアの首都ツヒンヴァリに対し軍事行動を起こします。これを受けて、ロシア軍が南オセチアに入り、激しい戦闘が行われました。黒海のロシア海軍はグルジア沿岸を攻撃します。8月8日は北京夏季五輪の開会式であり、時差を考えれば、まさに開会式の日に戦争が始まったのです。
開会式にはプーチンも出席しており、事前に侵攻計画を承認済みだったと思われます。軍事行動を最初に起こしたのはロシア側かグルジア側か不明ですが、アブハジア軍もロシア軍に合流して5日間戦闘が行われました。
その結果、グルジア軍は撤退を余儀なくされ、ロシアは8月26日、南オセチアとアブハジアの独立を承認します。10月には、ロシア軍はグルジアから撤退しました。