医学で長生きは“幻想”
和田:私は「あなた(医者)任せ」も怖いものだと思っています。例えば胃がんが見つかった時に、がんだけ取ればいいのに、転移が怖いからと胃の3分の2とか、全部を切除することがある。その後、食べられなくなって、ガリガリに痩せていく人をたくさん知っています。
養老:そう。だから、あなた(医者)任せと言っても、病院には病院の世界があって、私は「システム」と呼んでいるんだけど、そこに参加するかしないかは、こっちの自由ですからね。
和田:仰るとおりです。
養老:うっかり参加すると、その「約束事」に縛られてしまう。だから、必要なところは自分で判断する。この前、検査で胃にピロリ菌がいるとわかり「除菌しますか」と聞かれた時は、「もう生まれてこの方、何十年も付き合っているんだから、別に除菌しない」と答えました。自分が今どういう健康状態にあるかは、今までやってきたことの結果です。それを今更どうこうしようとしても、間に合わない。高齢になればなるほど、そう思います。煙草にしてもそうで、60年以上吸っているのに、今更やめたら体がびっくりするだけ(笑)。
和田:そうですね(笑)。
養老:仏教的な考えで、体のことも自然に任せるというのが、意外に今の人はできないようです。
和田:もう、とにかく「医学」を使って運命に逆らわなきゃいけないという考えが支配的です。私はお年寄りを中心にした長い臨床経験を経て、医療よりも、持って生まれた個人差や遺伝子のほうが、その人の寿命や健康に影響を与える度合いが大きいと思うようになりました。
病気になることを恐れすぎて日常を制限するより今の元気さを楽しんだほうがいい気がします。少なくとも医者を頼って何かしてもらえば、余計に長生きできるというのは“幻想”です。
養老:結局、日常を維持するかどうかが大事ということです。「日常」を維持するのはあまり立派なことと思われませんが、そうではない。日本語の「ありがとう」は「有り難し」、原義は「滅多にない」です。それが感謝の言葉ということは、本来、なんでもない日常が「有り難い」ということ。災害に遭ったり、歳を取るとそれがわかってきます。
私の母が90歳を過ぎた時、居間の模様替えをしてテレビを10cm動かしたら、「元に戻せ」と言いました。普段見ているテレビが10cm動いただけで、自分の調整がズレてしまう。日常の些細な変化に耐えるだけの体力がもうないんです。そういう意味で日常は年寄りにとって非常に重要。若い人は変えるのが面白いかもしれないけど、年寄りはできるだけ「変わらない」ほうがいい。だから保守的と言われるのですが、変えてみたところで大して変わらないんですよ。
死が中心になっている
和田:ここ数年、日本ではコロナが流行ったこともあってその日常が壊されてしまった。外出自粛やマスクの常時着用が、高齢者による交通事故が起これば免許返納が叫ばれるようになった。いとも簡単に日常を奪われることが多い気がします。
だからこそ養老先生のお母さんのように、テレビが少し動いただけでダメという意思表明はとても大事だと思います。それが健康的に生きるヒントになる気がします。
(後編に続く)
【プロフィール】
養老孟司(ようろう・たけし)/1937年、神奈川県生まれ。解剖学者。東京大学医学部卒。東京大学名誉教授。450万部を記録した『バカの壁』は2003年のベストセラー第1位で、戦後歴代5位。ほかに『唯脳論』『手入れという思想』など著書多数
和田秀樹(わだ・ひでき)/1960年、大阪府生まれ。精神科医。東京大学医学部卒。和田秀樹こころと体のクリニック院長。2022年3月刊行の『80歳の壁』は2022年のベストセラー第1位。ほかに『六十代と七十代 心と体の整え方』など著書多数
※週刊ポスト2023年1月13・20日号