与謝野議員はもともと、永田町界隈で「政策通だが、政局オンチ」という評判が根強かった。筆者は記者会見で与謝野大臣の答弁を直に見聞きしているが、まったく同じ感想を抱いた。民主党政権で閣僚に就任しても、周囲からは寝返ったと思われるのがオチだろう。
そして、その後の政治活動は厳しくなる。目先のニンジンに飛びついたとの批判は的外れではない。与謝野議員もそれは覚悟の上だっただろう。それでも民主党政権で閣僚になる道を選んだ。
与謝野議員は選挙による勝ち負けに大して興味がなく、とにかく政治に携わっていたいと思っていたのだろう。そのためには野党ではなく、与党でなければならない。だが、野党には野党としての意義、重要な在り方があるはずだ。
近年は「野党は批判ばっかり」との声が目立ち、野党も対応に苦慮している。従来、野党は与党を批判・監視するために存在する。政治権力は必ず腐敗する。だから、批判をされない与党ほど危うい存在はない。そして、批判をしない野党だったら存在意義すらない。
しかし、政治家は世論に抗いにくい。それゆえに国民民主党は「提案型野党」を標榜し、政権に対して是々非々の立場を取る日本維新の会は「与党でもなく野党でもない、ゆ党」と声高に叫ぶようになった。その背景には、「権力側にいたい」という気持ちが透けて見える。
野党は嫌だ、強大な権力を有する与党の政治家になりたいと考えるのは本人の自由だろう。しかし、自己の権力欲・出世欲・顕示欲のために与党を選択することは、野党議員や支持者を冒涜しているに等しい。与党である自民党の中で、人知れず汗をかいている議員や支持者に対しても失礼な話だ。なによりも、有権者や支援者を蔑ろにしている。
今井さんが自民党に移籍しても、今井さん個人の政治的手腕に変化が起きるわけではない。事実だけを抽出すれば、今回の一件は議員にすらなっていない今井さんという個人の所属政党が変わったというだけの話に過ぎない。
とはいえ、支持者や有権者は釈然としないだろう。解散した今井るるサポーターズは最後に公式Twitterで「関わった全ての人たちに」と題し、「今井さんごめんね。苦しい中支えきれなくて、本当に申し訳ない。しかしながら、今井さんの判断は受け入れることは難しく、ショックでした」と記している。その怒りと悲しみと空しさが同時に沸き、無力感に打ちひしがれる支援者たちの気持ちは十分に理解できる。
図らずも今井さんの一件によって、私たち有権者は一人では無力であることを痛感することになった。ただし、有権者一人ひとりは無力でも、数が増えることで大きな力になる。それは歴然とした事実だ。
政党とは何なのか? そして政治家を支持するとはどういったことなのか?を再確認することになった。それを踏まえて、有権者の私たちも今春の統一地方選に臨みたい。