小池百合子議員は、自分が所属する自民党の方針に反して2016東京都知事選に立候補。自民党の候補を破り当選を果たした(撮影:小川裕夫)
最初は1992年、日本新党の公認候補として参議院議員選挙に出馬。その後、多くの政党を転々としたのち2002年12月に自民党へ入党。常にスポットライトを浴びる場に居続けている。2003年9月には環境大臣として初入閣。そして2005年9月の郵政解散総選挙では、小泉純一郎首相(当時)に志願して選挙区を東京10区へと変更。ここで当選を果たし、以降は東京10区の顔になっていく。
2016年、前触れもなく小池議員は都知事選への立候補を表明した。自民党はすでに候補者の擁立を進めており、党の方針に反する。そのため、自民党本部からは「小池候補を応援したら、自民党を除名する」との通告が出ていた。
筆者は2016年の都知事選をつぶさに取材していたが、多くの都議や市議・区議が小池候補の選挙を手伝っていた。誰一人として、本部からの通告に怯んでいる様子はなく、そのことを質問しても「除名できるなら、勝手にどうぞ」と意に介さなかった。
都知事に当選後、小池人気は絶頂を迎える。他方で、都議会の自民党会派を離脱して小池都知事に同調する議員は少数だった。
小池都知事は2020年の都知事選で再選したが、都知事選に自民党は候補者を立てなかった。そして、選挙中は自民党の一部が小池都知事を支援していた。2020都知事選で、小池候補は得票数も得票率も前回の2016都知事選を上回った。そこには、間違いなく自民党の力があった。小池都知事は、自民党支持層の底堅い力を痛感したに違いない。
無所属になっても与党を選んだ与謝野馨
近年の事例を見ても、自民党へ移籍することは珍しいことではない。当選回数の多い議員でも、心変わりする。まだ議員にすらなったことがない今井さんが自民党へ移るにあたり、かなり悩んだことは想像に難くない。ただ、若気の至りともいうべきか、今井さんはちゃんとした手順を踏まなかった。本来なら、後援会などと相談し、支部長という役職を辞め、離党してから自民党と接触するのが筋だろう。それを省いたことで、大きなハレーションを生んだ。
珍しいことではないものの、野党から自民党へと政治家が支持母体を移るたび、大きな騒動となる。それでも移籍する理由は、自民党が与党であることが挙げられる。先述した桜井議員は「与党議員の強みは政策決定により深く関われること」「与党でしかできないことがある」と、野党との違いを説明している。これは、政治家が与党を、自民党を志向する理由を端的に示している言葉と言っていいだろう。
政治家が権力を志向するのは世の常で、それは政党がどこであろうとも同じだ。かつて自民党の重鎮だった故・与謝野馨議員は、2009年に民主党政権が誕生すると自民党を離党。たちあがれ日本を結党したものの、すぐに無所属議員になった。そして、菅直人内閣で経済財政政策担当大臣という要職に就く。