ライフ

【逆説の日本史】伊藤博文そして明治天皇の死によって水泡に帰した「新・第二教育勅語」

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』(イメージ)

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』(イメージ)

 ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第九話「大日本帝国の確立V」、「国際連盟への道3 その12をお届けする(第1367回)。

 * * *
 西園寺公望が第二教育勅語発布を断念した経緯は、保守派の妨害でも無ければ西園寺自身の病気によるものでも無い。病気は完治したし、その後西園寺は総理大臣にもなった。だから病気は「保留」の原因になっても、「断念」の理由にはならない。

 やはり伊藤博文が止めたのだろう。理由は、日露戦争を勝ち切るまでは「外国との融和」を重んじる第二教育勅語は時期尚早であり、「国民の団結」を訴え戦争遂行に有利な第一教育勅語だけでよいと伊藤は判断し、おそらく「もうしばらく時節を待て、発布の時期はわしに任せろ」と西園寺を説得したと私は考える。

 なぜそう考えるかと言えば、一時は新聞社の社長になってまでも欧米型の開かれた社会を作ろうとしていた西園寺が、その最適の手段である第二教育勅語発布をそう簡単にあきらめるはずが無いからだ。これまでの所論は、あまりにも政治家の信念というものを無視している。明治天皇も暗黙の了解を与えていた。だから西園寺の腹心竹越与三郎は「枕頭閣議」などという非常手段を使ってまで第二教育勅語発布を急ごうとした。

 仮にも「勅語」である、一臣下の忖度によってどうこうできるものでは本来無い。天皇の支持が無ければ、こうした手段に踏み切れるものでは無い。そして、それでもそれを止められるのは同じく天皇の信頼篤かった伊藤しかいない。

 では、なぜその後、西園寺は発布を完全に断念したのだろうか? おそらく、伊藤が暗殺されてしまったからだろう。私は歴史学者のように史料絶対主義者では無い。その代わりに当時の人々の思想・信条を重視し、その時代の人間になったつもりで考える。現代の考え方から言えば、伊藤が死んだことは第二教育勅語発布の最大の障害が無くなったことになり、かえって発布が促進されるはずだということになるだろう。

 だが、もう一度言うがそれは現代の考え方である。西園寺にとって伊藤は兄貴分で尊敬すべき大先輩であり、政界に導いてくれた大恩人でもある。その人間と交わした約束は守らねばならない。それは、たとえ相手が死んでも、だ。いや、死んだらなおさら守らねばならない。相手が死んだら約束は無効になるなどとは絶対に考えてはならないのだ。それが当時の人々の道徳観念である。

 だからこそ私は、二人の間に「発布の時期は伊藤に任せる」という約束があったと考えるのだ。しかし、伊藤の死によって発布が事実上不可能(発布時期の判断を下せる者がいない)になった。では、どうするか? なにか別の手段を考えるか、第二教育勅語を新規に策定するかだ。新案を発布に持ち込むのなら、伊藤との約束を破ることにはならない。

 しかし、西園寺にはその余裕が無かった。伊藤が暗殺されたのは、前にも述べたように一九〇九年(明治42)十月二十六日である。仮にこの時点で西園寺が「新・第二教育勅語」の策定を思い立ったとしても、少なくとも一年はそれを実行に移さなかったろう。なぜかおわかりだろうか? これもいまでは忘れ去られた感覚だが「喪に服する」ということだ。「伊藤が死んだ。これで第二教育勅語を出せるぞ」などとは絶対に考えてはいけないのである。

関連キーワード

関連記事

トピックス

12月9日に62歳のお誕生日を迎えられた雅子さま(時事通信フォト)
《メタリックに輝く雅子さま》62歳のお誕生日で見せたペールブルーの「圧巻の装い」、シルバーの輝きが示した“調和”への希い
NEWSポストセブン
宮崎あおい
《主演・大泉洋を食った?》『ちょっとだけエスパー』で13年ぶり民放連ドラ出演の宮崎あおい、芸歴36年目のキャリアと40歳国民的女優の“今” 
NEWSポストセブン
悠仁さまが2026年1月2日に皇居で行われる「新年一般参賀」に出席される見通し(写真/JMPA)
悠仁さまが新年一般参賀にご出席の見通し、愛子さまと初めて並び立たれる場に 来春にはUAE大統領来日時の晩餐会で“外交デビュー”の可能性も、ご活躍の場は増すばかり
女性セブン
大谷翔平選手と妻・真美子さん
《チョビ髭の大谷翔平がハワイに》真美子さんの誕生日に訪れた「リゾートエリア」…不動産ブローカーのインスタにアップされた「短パン・サンダル姿」
NEWSポストセブン
日本にも「ディープステート」が存在すると指摘する佐藤優氏
佐藤優氏が明かす日本における「ディープステート」の存在 政治家でも官僚でもなく政府の意思決定に関わる人たち、自らもその一員として「北方領土二島返還案」に関与と告白
週刊ポスト
会社の事務所内で女性を刺したとして中国籍のリュウ・カ容疑者が逮捕された(右・千葉県警察HPより)
《いすみ市・同僚女性を社内で刺殺》中国籍のリュウ・カ容疑者が起こしていた“近隣刃物トラブル”「ナイフを手に私を見下ろして…」「窓のアルミシート、不気味だよね」
NEWSポストセブン
石原さとみ(プロフィール写真)
《ベビーカーを押す幸せシーンも》石原さとみのエリート夫が“1200億円MBO”ビジネス…外資系金融で上位1%に上り詰めた“華麗なる経歴”「年収は億超えか」
NEWSポストセブン
ハワイ別荘の裁判が長期化している(Instagram/時事通信フォト)
《大谷翔平のハワイ高級リゾート裁判が長期化》次回審理は来年2月のキャンプ中…原告側の要求が認められれば「ファミリーや家族との関係を暴露される」可能性も
NEWSポストセブン
神田沙也加さんはその短い生涯の幕を閉じた
《このタイミングで…》神田沙也加さん命日の直前に元恋人俳優がSNSで“ホストデビュー”を報告、松田聖子は「12月18日」を偲ぶ日に
NEWSポストセブン
高羽悟さんが向き合った「殺された妻の血痕の拭き取り」とは
「なんで自分が…」名古屋主婦殺人事件の遺族が「殺された妻の血痕」を拭き取り続けた年末年始の4日間…警察から「清掃業者も紹介してもらえず」の事情
(2025年11月、ラオス。撮影/横田紋子)
熱を帯びる「愛子天皇待望論」、オンライン署名は24才のお誕生日を節目に急増 過去に「愛子天皇は否定していない」と発言している高市早苗首相はどう動くのか 
女性セブン
「台湾有事」よりも先に「尖閣有事」が起きる可能性も(習近平氏/時事通信フォト)
《台湾有事より切迫》日中緊迫のなかで見逃せない「尖閣諸島」情勢 中国が台湾への軍事侵攻を考えるのであれば、「まず尖閣、そして南西諸島を制圧」の事態も視野
週刊ポスト