当時の植田氏は、日銀のなかでも最高意思決定機関である政策委員会の審議委員だった。同年5月のある日の18時頃、日本銀行本店から黒塗りの公用車で六本木へ向かった植田氏。20代前半と見られる若いホステスと待ち合わせて、高級寿司店に入った。同店の料金は“おまかせ”で、1人1万5000円ほど。
高級寿司を堪能した後、20時半過ぎに女性が働くクラブに移動。いわゆる“同伴出勤”だったようだ。クラブを出たのは23時45分頃で、待ち合わせから数えれば六本木の繁華街で5時間以上を費やしたことになる。クラブの料金は、2人でボトルを入れて10万円程度。1人でも同伴出勤してボトルを入れると8万~9万円と、「高級」クラブの部類だ。
この日だけにとどまらず、同誌は同年の3月8日、24日、31日、4月17日、27日と植田氏が六本木のクラブに通い詰める姿を目撃していた。そのうち4回は同伴だった。
日銀職員は当時、「みなし公務員」という立場にあり、同年4月には「日本銀行員の心得」が改正されていた。同心得では、職務上の関係者と自己の費用を負担して行う会食等について、特に所属長が認めない限り、夜間の飲食を禁じている。さらに〈その頻度、場所等について通常一般の社交の程度を超えた供応接待と受け止られないようにするなど、誤解を招くことのないよう慎重な配慮が必要である〉とも記されていた。