「この涼しそうな僕を見て涼んでください」と投稿された写真(平野紫耀Instagramより)
「キッズモデルをやったり、中学入学後にはアイドルグループに加入したりと、紫耀くんの活動は芸能色が強くなっていきました。もともと一生懸命な子でしたが、お母さんを喜ばせたい、期待に応えたいという一心で、必死だったんじゃないかな」(前出・母親の知人)
そして2012年、15才になった平野に大きな転機が訪れる。東京でダンスレッスンを受けたことがきっかけでジャニー喜多川氏にスカウトされ、ジャニーズ事務所への入所が決まったのだ。
ビビッドな色のフェラーリに乗って
当初、平野の活動拠点は関西だったが、18才で上京を決意。新たな土地での順風満帆な未来を夢見ていた母子にまたしても悲劇が襲う。
「上京直前にお母さんに脳腫瘍が見つかり、名古屋の病院に入院することになったんです。紫耀くんは地元に残りたい、手術に立ち会いたいと強く主張したようですが、最後はお母さんに説得されて泣く泣く上京したそうです。
実は彼女は乳がんにもかかったことがあり、いつしか紫耀くんはお母さんを『自分を守ってくれる存在』から『自分が守るべき存在』として捉えるようになったと思います」(別の母親の知人)
2018年5月にキンプリとしてデビューを飾った平野は、その約半年後に放送された『RIDE ON TIME』(フジテレビ系)でこう語っている。
「基本頑張っているのは、親のためなんですよ。ずっと母子家庭だったんで。親が死にそうになっていたんで(中略)親にも悲しい思いをさせないように、ちゃんとお仕事しなきゃなっていうのはありましたね」
息子が芸能界で華々しく活躍する傍ら、母親は新たな人生を歩み始めていた。
「愛知県内で、ペットショップとダンス教室の運営にかかわる男性と再婚したんです。確か、平野さんがキンプリとしてデビューする少し前だと思います。再婚から数年後には、女の子が生まれました。平野さんにとって年の離れた妹ということもあって、かわいくて仕方がないようで溺愛しています。
それに継父ともいい関係を築いていて、舞台に招待したこともあるようですよ」(芸能関係者)
つらい時期を乗り越え「母を幸せにしたい」、ただそれだけのために頑張った少年は、いまや世界進出を目指すスターとなった。2人の境遇は大きく変わったように見えるが、実家の近隣住民は口を揃えてこう話す。
「あの2人は、とても仲がよくて何も変わってない」と。
