平野は折に触れて莉玖(右)をバックアップしてきた(写真は莉玖のインスタグラムより)
平野は1997年、愛知県名古屋市に生まれた。母親は当時、まだ18才だったという。
「『紫耀』という名前は、彼女の“紫色好き”に由来するそうです。2年後に莉玖くんを産んだ後に離婚。紫耀くんは彼女に、莉玖くんは父親に引き取られたと聞いています。紫耀くんは一時期、お母さんと2人、小さなアパートで暮らしていました」(母親の知人)
母子家庭で経済的に苦しかったという平野家。平野が幼い頃、母親は毎晩遅くまで働きづめだったという。
「以前、テレビでおふくろの味を聞かれた紫耀くんが、『しなしなの唐揚げと、べちょべちょの白米。貧乏だと揚げてくれないんですよ』と答えたことがありました。朝から晩まで外に出ていた彼女は、手料理に割く時間がなく、お総菜をレンジで温めることが多かったようです」(前出・母親の知人)
離婚後の母親の悩みは、金銭の問題だけではなかった。
「紫耀くんは持病を抱えていたのです。幼少の頃、川崎病で手術経験があり、多忙のなか、お母さんが付き添って定期的に検診に行っていました。
さらに紫耀くんには、小麦や甲殻類、フルーツなど複数の食物アレルギーもあったようです。彼女は日々の料理にも気を使わなければならず、精神的にも金銭的にも追い込まれていたという印象でした」(前出・母親の知人)
余裕があるとは言いがたい母と息子の生活。そんななか、平野の救いになったのが、小学校低学年で始めたダンスだった。
「お母さんが公園でカーステレオから音楽を流し、練習につきあっていた姿をよく覚えていますよ。
でも、紫耀くんが小学4年生の頃、練習のしすぎで膝の半月板を損傷して手術を受けることになってしまった。当時の彼女にとって手術代の工面は一大事だったようで、紫耀くんは当時、お母さんに申し訳ないとひとり涙したそうですよ」(前出・母親の知人)
徐々に平野は、ダンス以外にも活動の幅を広げ始める。
