木村拓哉が極秘の決起集会を開いたという(2023年9月)
「YOUはめちゃくちゃだ!」
窮地の中でもエンタメにこだわり続ける木村。彼をジャニーズ始まって以来の最大のスターと呼ぶ声は多いが、若かりし頃、本人にその覚悟はなかった。
木村がジャニーズ事務所に入所したのは1987年のこと。本人が知らないうちに親戚が履歴書を送り、初めて事務所を訪れた際、そこにいた小柄な男性に「すみません、ジャニーさんってどこにいるんですか」と尋ねた。すると男性はこう答えた。
「ぼくだよ」
それが2人の出会いだった。その後、木村は光GENJIのバックダンサーなどの下積みを経て、1988年にSMAPが結成された。スーパースターの階段を歩み出した木村だが、ジャニー氏には怒られてばかりだったという。
「バックダンサー時代、金髪のメッシュを入れた木村さんにジャニーさんが『YOU、最悪だよ!』と激怒し、木村さんの頭を押さえつけて、スタッフに買ってこさせたスプレーを使いその場で髪を黒く染めた“事件”は有名です。
ハワイに行った際に無断で部屋を抜け出したり、リハーサル中にガムを噛んでいて振付師から『帰れ!』と言われて本当に帰ってしまったりと木村さんはヤンチャなエピソードが豊富ですが、そのたびにジャニーさんは『YOUはめちゃくちゃだ!』と怒鳴りつけたそうです。
年齢を重ねるにつれて温厚になったジャニーさんですが、木村さんに対しては『YOUの代わりなんていくらでもいるんだよ!』と叱り飛ばすことが多かった。木村さんはジャニーさんに最も怒られたアイドルかもしれません」(別の芸能関係者)
厳しい態度は期待の裏返しだった。かつて『産経新聞』(1995年6月12日)のインタビューで、ジャニー氏は木村についてこう語っている。
《とにかく頑張り屋。すべてに納得を知らない。仕事に納得したら芸能界をやめると言っているほど》
木村にとってもジャニー氏は大きな存在だった。
「木村さんはよく『あの人がいなかったら、こういう仕事をやってなかった』と話していました。ジャニーさんも独自路線の木村さんを叱りつつも、認めて面白がっていた節があります。オンリーワンの道を突き進む木村さんのやり方は、ある意味でジャニーズイズムの継承でもあるのです」(前出・芸能関係者)
2019年7月、ジャニー氏が逝去すると木村は『AERA』(2019年12月30日・2020年1月6日合併号)で継承の決意をこう述べた。
《ジャニーさんがどういうふうに受けとってくれるかはわからないけれど、歌に関しても、作品の現場においても、彼の死によって、自分がよりしっかりやらなきゃと思うようにはなっています》
芸能の世界に足を踏み入れ35年。「キムタクブーム」に始まり、さまざまなムーブメントを起こしてきた木村は、50代になっても人気は衰えることなく、第一線で輝き続ける稀有な存在だ。間違いなくジャニーズにおける重要なタレントと言える。しかし、そんな木村にも、この渦中で退所情報が飛び交った。
「長女のCocomiさん(22才)、次女のKoki,さん(20才)がハイブランドのアンバサダーを務めるなど、海外での活動を見据えていることから、娘たちのために木村さんが退所を決断すると考えられたのです。実際、木村さんは今年公開された海外ドラマ『THE SWARM』にも出演し、海外とのコネクションもあり、独立をしてもおかしくないという見方をする関係者がいるのもうなずけます」(前出・芸能関係者)
しかし、彼はその道を選ばなかった。ドラマの撮影延期などのトラブルが発生し、足元が揺らいだように見える木村だが、事務所とともにエンタメを作り上げていくという長期的な展望を抱いている。