さらに陸軍のもう一つの欠点と言えば、「飯盒炊爨」である。これも前に「八甲田雪中行軍遭難事件」のところで書いたが、そもそも雪中行軍なのに飯盒炊爨で食事をとろうとしたことが大量遭難の大きな原因だった。いや、雪中行軍だけでは無い。酷暑のジャングルでも同じことで、飯盒炊爨をやるにはカマドと清潔な水および大量の燃料を必要とする。時間と労力が掛かるし、炊事の煙は敵に発見されやすい。
キャンプや物見遊山に行くのでは無い、戦争に行くのだから軽く栄養価がありすぐに食べられる保存食を兵糧として持って行くのが当然のはずだ。ビスケットは酷寒の大地でも酷暑のジャングルでも変質せず、しかも水無しで食べられカロリーもある理想の携行食だ。前にも述べたように、幕末には日本に伝わっており徳川慶喜も食べたことがある。つまり、その存在は周知の事実だった。
また、それ以前から日本には干し柿や干し魚といった軽量の保存食があった。これからは飯盒炊爨などやめてそうした食料を支給する、という形で軍そのものを効率的機動的にすることはできたはずなのに、陸軍は一九四五年(昭和20)の崩壊までそれをしなかった。
兵站の軽視が大東亜戦争におけるガダルカナルの戦い、インパール作戦などで多くの餓死者を出したこともすでに述べたが、じつはガダルカナルのようなジャングル戦では餓死体から携行していたコメが発見されることが珍しくなかった、という。生米はそのままでは絶対に食べられない。関ヶ原の戦いのときに、徳川家康が生米は絶対に食うな、腹を壊すから、と注意したという話も伝わっている。だから餓死した兵士たちは結局食料を携行していたのに食べることができずに死んでしまったというわけだ。こんなバカな話は無いのだが、どうしてそんなことになってしまったのか?
この点、つまり「なぜ帝国陸軍はかくも白米(飯盒炊爨)にこだわったのか?」についても、「なぜ帝国陸軍は兵站をかくも軽視したのか?」と同じく、私の知る限り先行する研究は無い。しかし、この『逆説の日本史』で何度も強調しているように、合理的論理的に考えて絶対あり得ないようなことを組織あるいは個人が実行している場合は、その理由が宗教に基くことがほとんどである。この場合もそう考えるのが妥当で、その宗教はなにかといえば、やはり「天皇教」、平たく言えば天皇を信仰の対象とする宗教だろう。
すべてのコメは「御神饌」
ここで一言お断りしておく。本来、日本以外では、とくに民主主義の確立された先進国ではお断りする必要の無いことであるし、この連載の古くからの読者にもお断りする必要の無いことなのだが、明治以降の大日本帝国はバックボーンに「天皇教」があり、とくに帝国陸軍はその強い影響を受けていたと私が指摘したとしても、そのことはただちに私自身が「天皇教信者」であることを示すわけでは無いし、ましてや天皇をすべて肯定的にとらえる右翼でも無いということだ。
若い読者にはなんのことだかわからないかもしれないが、ずっと以前から歴史学界では天皇のことをできるだけ否定的にとらえる、つまり左翼的見方が正義だとされていた。本来歴史学とは過去になにがあったかを探求するものであって、歴史上の事実は事実だからイデオロギーとは関係無いはずなのだが、こういう左翼的学者は日本史の最大の特徴が「天皇」という存在にあるにもかかわらず、これを徹底的に無視し、私が天皇という存在の日本の歴史に与える影響を述べると、「井沢元彦は右翼だ」などと罵倒した。
若い読者は信じられないかもしれないが、いまから三十数年前はそれがあたり前だった。近代史の専門学者のなかには「朝鮮戦争は韓国の奇襲で始まった」などと吹聴する連中がいて、それに対して「実際は北朝鮮の奇襲で始まった」などという事実を述べると、やはり右翼と罵倒された。もう一度言うが本当の話である。だから「北朝鮮は日本人を拉致していた」というまったくの事実が確定するのにも長い時間がかかった。
現在放映されているNHK大河ドラマ『どうする家康』の第三十八回のサブタイトルが「唐入り」だったことに、私はほっとした。かつては、「唐入り」と呼ばれたことを無視して「朝鮮侵略」と言え、という歴史学者が大勢いたからだ。実質的にはそうであっても、歴史の探究においては当時使われた言葉を無視してはいけない。大東亜戦争も同じことで、当時大日本帝国はそう言っていたのだから、それをまず使うべきである。
ところが、「大東亜戦争」という「呼称」を使えばそれは「侵略戦争を肯定したことになる」などという理由で「アジア太平洋戦争」と呼ぶべきだという歴史学者がいまもいるのである。バカな話だ。たとえば、陸軍が日中戦争を支那事変と言い換えたのは「対外戦争」では無いと強弁するためだが、言ったのは事実なのだから歴史の記述としてはまずはそう書かねばならない。
では、それを実行したらそれだけで「井沢は日中戦争を支那事変と書いているから陸軍の支持者だ」と決めつけるのか。それに「天皇制イデオロギー」に関わるまいと思えば思うほど、ここで提出した二つの難問に答えることができなくなるだろう。関わるまいと思えば当然それに対する分析もおろそかになるからである。