じつにくだらないことに紙数を費やしたが、こういうことをわざわざ言わねばならないのが日本の現状である。ともかく問題の解析に入ろう。
二つの難問のうち、「なぜ帝国陸軍はかくも白米(飯盒炊爨)にこだわったのか?」のほうがわかりやすいと思うのだが、いまでも皇室のかかわる公式行事のなかには、農耕とくに稲作にかかわる「神事」が多いことをまず認識すべきだ。「御田植」や「新嘗祭」「大嘗祭」などである。また天皇の祖先神であるアマテラスは、自分の孫ニニギノミコトをオオクニヌシから「献上」されたクニに「天下り」させるにあたって、クニの名を「豊葦原瑞穂国」と改めた。その意味は「《神意によって稲が豊かに実り、栄える国の意》日本国の美称」(『デジタル大辞泉』小学館)である。つまり、日本人はこういう経緯からコメを単なる食物では無い、と考えるようになったのではないか。
陸軍は明治の創成期において、就職先の無い農民の次男坊、三男坊を入隊させるために「軍隊に入れば腹いっぱい白米が食べられるぞ」と宣伝した。それが白米に対するこだわりになり、「脚気の原因は白米食で、玄米を増やせば病を減らせる」という経験則が無視され、病気の克服という点ではきわめてマイナスになった。『逆説の日本史 第二十六巻 明治激闘編』で述べたとおりだ。
しかし、それは戦場でも白米を常食とするため飯盒炊爨にこだわった原因では無い。戦争の無い平時には、いくらでも兵営で白米食を出すことができるからだ。だから、戦場では飯盒炊爨はきわめて非効率だから別の保存食に切り替えると言えば、次男坊、三男坊たちも決して文句は言わなかっただろう。つまり、理由は別にある。
ところで、みなさんは「御神饌」と書かれた食品(コメ煎餅や昆布)を食べた経験は無いだろうか? 商品では無い。氏子などに神社側から無料で提供される食品である。なぜ無料かと言えば、それは「神饌」という言葉の意味が「神様への御供え物としての食品(稲、米、酒など)」であり、その「おさがり」だから「『御』神饌」になるわけだ。
大日本帝国の時代、天皇は神の直系子孫であると教育で教えていた。だから大嘗祭も新嘗祭も、現在と違って完全な神事(宗教行事)である。大嘗祭は即位の時一回限りだが、新嘗祭は毎年新しいコメを神に供え天皇がその「御神饌」を食する儀式だ。その「供物」であるコメはその年大日本帝国で収穫したコメの「代表」だから、国民が食するコメもすべて「御神饌」であるということになる。つまり、コメとは神の霊力によってもたらされたスーパーフードということになる。
この信仰が、陸軍が最後まで飯盒炊爨にこだわった最大の理由だろう。むしろ敵と戦う戦場でこそ、食料はその「スーパーフード」でなければならなかったということだ。それ以外にこの「非効率」の理由を合理的に説明することは不可能である。
(第1401回に続く)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2023年12月8日号