清少納言とのバトル
【4】死を招く疫病の流行
紫式部が生きた時代には、死に直結する病である天然痘などの疫病が大流行した。
「史実では道長の長兄の藤原道隆(井浦新)と次兄の道兼が次々に命を落とします。紫式部ひとりの受難というわけではありませんが、当時の社会が大きな不安に包まれていたと考えられます」
【5】清少納言との軋轢
同時代の宮中には『枕草子』の作者である清少納言(ファーストサマーウイカ)がいた。
一条天皇の后で藤原道隆の娘・定子(高畑充希)の女房だった清少納言は、彰子に仕える紫式部にとって、まさに“目の上のたんこぶ”だった。
「清少納言は明るく社交的な女性で、天皇と后の間を行き来する役人の男たちは、定子のサロンで清少納言と話をするのを楽しみにしていた。『枕草子』によると、歌はあまり得意ではなかったようですが、道長を支え続けた藤原行成(渡辺大知)も、いつも清少納言を指名して漢詩をやり取りしていました。
紫式部は巻き返すため、彰子を訪れる男たちを楽しませようと一生懸命『源氏物語』を書いたのだと思います」
紫式部が出仕してから1年ほどで定子が他界。その後の清少納言に関する歴史的資料は残っていない。
「人気者だったので、彰子の元に女房として呼ばれた可能性もありますが、紫式部は『紫式部日記』で清少納言を批判するような言葉を長々と書いている。
“彰子には私がいるから、清少納言なんていらない”とアピールしていたのかもしれません」
これらの史実は『光る君へ』でどう描かれるのか。木村氏がいう。
「ドラマはまだ序盤ですが、幼少期に亡くなった紫式部の姉が出てこないなど、史実とは違う描き方をしている箇所も多い。ドラマオリジナルの試練も多数用意されているのではないでしょうか」
※週刊ポスト2024年2月2日号