青山京子はスキー雑誌の「ミス・スキーガール」でモデルデビュー。1980年3月に出演した『今週のギャル』コーナーで強烈なインパクトを残し、2か月後にカバーガールに採用された
番組の進行がすべて頭に入っているとはいえ、ゲストが想定外のコメントを発するのも生放送にはつきものだ。
「巨泉さんが違和感を覚えているというのは、横にいてすぐに分かります。そういう時に、私は『その話は昼のことですか、夜ですか?』とか、どうでもいい質問をゲストに投げるわけです(笑)。巨泉さんは『バカだね、お前は』なんて言いながら、その間に立て直す流れを頭の中で組み立てる。30秒も稼げば、巨泉さんは流れを切り替えることができます。私はそういう役回りでした」
巨泉は自分の思い描いた進行を妨げられるのをことのほか嫌った。そのため、自分の主張を持った、弁の立つタレントはアシスタントに起用しなかったという。松岡さんが最長のアシスタント歴となったのは、何より献身的にアシスト役に徹したことによる。
「巨泉さんのトレードマークである黒縁の眼鏡ですが、実はレンズが入っていないんです。普段は牛乳瓶の底のような分厚いレンズの眼鏡をかけるほど強い近眼なのに、ライトが当たってレンズが光ると、視聴者が見づらくて失礼じゃないか、と言って、コンタクトにしていたのです。番組の進行だけでなく、画面栄えにも気を配る。そして、女の裸だろうが、スポーツだろうが、時事問題だろうが、同じ熱量の関心を持ち、語ることができる。こんな司会者は、もう二度と現われないでしょうね」
平成の始まりである1990年にセミリタイヤ宣言をした大橋巨泉。昭和のテレビを盛り上げた立役者の、鮮やかすぎる引き際だった。
取材・文/小野雅彦