「ブラジル人」と「日本人」の共鳴
セナの闘争心をむき出しにした走りには、「ブラジル出身」という境遇もあったのではないか、と中嶋は続ける。
「F1というのはヨーロッパの文化だからね。そのなかで『日本人』として戦った僕には、セナの気持ちが分かるような気がする。ブラジル人のドライバーとして、ヨーロッパの奴らに負けるわけにはいかない。そんな反骨精神もセナの『強さ』の背景にはあったんじゃないかな。
だから、僕は彼がマクラーレンに移籍した後、より速いクルマを手に入れた彼が、チャンピオンになって欲しいと思っていた。何よりセナは僕にとって、同じクルマに乗って僕より速かったドライバー。そんな彼には、やっぱり誰よりも速く走って欲しかったからね」
セナが1994年にイタリアのイモラサーキットで亡くなってから30年。存命なら64歳になる年だ。今も中嶋は「もし生きていたら、今頃あいつは何をやっていたかな」と思うことがあると言う。
「僕は自分のチームを作って、今もレースを続けている。お互いにレーシングドライバーではなくなった立場で、いろいろと話せることもあったかもしれないな、と思うんだよ」
取材・文/稲泉連
※週刊ポスト2024年4月5日号