だから芝翫さんの行動に呆れていても、三田さんの頭の中に離婚の文字はないと思う。夫婦間のコミュニケーションはとっているというが、彼女が芝翫さんに求めているのは、もはや夫らしい夫ではないからだ。少し長くなるが彼女の内心が見えてくる箇所を引用しよう。
《多方面から様々なご意見を頂いておりますが、私の思いとしましては、夫が自分自身を見つめ直し、歌舞伎俳優として、三人の父親として、しっかり考えて行動してもらいたいと願っています》
彼女は“夫”と呼ぶものの、“歌舞伎俳優として、三人の父親として”と書いただけで、夫としてとは書かなかった。求めているのは父親であり、歌舞伎役者としての言動で、夫としての役割はすでに求めていない印象だ。
《私としましては、成駒屋に嫁ぎ、妻として三人の息子の母親として、これからも家業の歌舞伎を私なりに精一杯支えて参りたいと考えております》
彼女はわざわざ”成駒屋に嫁ぎ”と書いた。妻という立場より、嫁という立場の方が優先順位が上なのだろう。歌舞伎という伝統芸能の家に嫁ぐ者なら、夫に嫁ぐというより、家に嫁ぐという感覚が強いのかもしれない。しかしこのセンテンスを加えたことで、そんな思いや覚悟が前面に出てくる。続く文面には妻としてと書かれているが、支えるのは家業の歌舞伎であって夫とは書いていない。支えていきたいという中に夫という文字はなく、大切なのは家業の歌舞伎を守ること。そしてそれは息子たちを守ることでもある。
成駒屋に嫁ぎ、三人の息子の母親として歌舞伎を支えていくという彼女。今さら、夫の不倫ごときで怒ることも離婚もないということだろう。