数多くの惜しむ声
引退後、横綱経験者は5年間の期間限定で現役時代の四股名のまま協会に残れる仕組みがある。前出の親方のひとりはこう話す。
「曙もその制度を使って現役名のまま親方として協会に残り、エリートコースである記者クラブ担当などを経験したが、約3年後の2003年11月にいきなり廃業。その年の大晦日のK-1に参戦した。女優・相原勇との破局後、後援会幹部らが結婚相手の面倒を見ようと尽力したところに現夫人とできちゃった婚となり、後援会が解散してしまった。当時の東関部屋後援会からの反発もあって、窮地に陥った曙は年寄株を取得する資金が集まらず、廃業の道を選ぶしかなった」
ただ、協会を去った後は、K-1だけでなく、総合格闘技、プロレスなどのリングを沸かせた。闘病生活は7年に及んだが、常に夫人ら家族のサポートがあったという。その早すぎる死を悼む声とともに、もし角界を去らなければ、と惜しむ声も多い。
同期の3横綱のなかで、角界に一番未練がないように見えた若乃花が相撲の解説をやっており、一大ブームを支えたライバル2人は角界から遠く離れてしまった。人生とはわからないものなのかもしれない。