仕事がオフの土日は、小学2年生の1人息子・エヴェレスト君との時間だ。
「一緒に自転車に乗ったり、公園に行ったり。長期休暇には、ノースカロライナにいるお母さんに会いに行ったり。去年の8月には、彼は初めて日本に行ったんですよ! 私は8年ぶり! すごく暑くて、デパートやコンビニ、地下鉄で涼みながら移動しました(笑)。でも、息子は日本が楽しくてずっと興奮していて、暑さは気にならなかったみたい。
息子が2歳まではずっと日本語で話しかけていたんですけど、プリスクール(保育園)に通い始めたら、わからなくなってしまいました。でも、初めて日本に行ったら『I’m Japanese!』と急に目覚めて、日本の親戚や友達とコミュニケーションがとりたくなって、『うんこドリル』を買って帰って日本語を勉強するようになりました(笑)」
これからは年に数回、日本とロサンゼルスを往復するのが理想で、日本に“ロサンゼルス感のある文房具”を売り出していけたら、と語る。
日本の芸能界に思うこと
芸能活動にはもうあまり興味がないのだろうか。
「そんなことはありません。行ったり来たりしながら活動できるなら、またやりたいです。芸能活動は面白かったし、働くことは好きですから。忙しかったけど、日本全国を回ることができて、志村けんさんやタモリさん、所ジョージさんらとも共演させてもらって、毎日が新しいことの連続で楽しかった。
コロナで志村けんさんが亡くなったニュースには、ビックリして悲しかったです。志村さんは私が20歳の誕生日に、チワワをプレゼントしてくれたんですよ。誕生日に突然、電話がかかってきて『今、(マンションの)下にいるよ』って。降りて行ったら、車のドアを開けて、『はい』って(笑)」
そのチワワは渡米の際にも連れて行き、15歳まで長生きしたそうだ。フリーディアさんは、改めて日本で活動した“こずえ鈴”時代を振り返った。
「“こずえ鈴”の芸名は、事務所が年配の方にも親しみやすく、個性的な名前を、と画数をみて決めてくれました。ただ、当時私はまだ20歳前後と若く、大人として成長していく段階で『ああしたい』『こうしたい』という自分の意見が出てきますよね。いつまでも子どものイメージのままではいられなかった。でも、日本の芸能界は楽しい思い出ばかりです」
大人になったフリーディアさんの活躍を、またテレビで見られるか──。
後編ではフリーディアさんに家族の近況、そしてLA在住の理由などについて語ってもらっている。
(後編に続く)
◆取材・文/中野裕子(ジャーナリスト)
【店舗情報】
フリーディアさん経営の文房具店『Paper Plant』