高校の同窓会には不参加
ロサンゼルスの中心部から東に約40キロ。「ダイヤモンドバー」と呼ばれる都市に1990年頃、水原家は移り住んだ。アジア系住民が5割を占める地域で、なかでも中国、韓国の出身者が多く、日本人は少ない。移動手段には車が欠かせず、日本の地方都市のようだ。その住宅地に建つ平屋を借りて、一家は生活を始めた。
水原の父、英政(64)は当時、知人の紹介で、ニューポートビーチにある日本料理店で働いていた。同僚だった日本料理店「古都」の店長、松木保雄(75)が振り返る。
「1991年から一平ちゃんのお父さんと一緒に働いていました。お父さんは和食の調理を担当。一平ちゃんは6歳ぐらいの頃から、お店に遊びに来ていました」
地域の教育機関によると、水原は自宅近くのウォルナットバレーという地域にある小学校に入学したという。その後はシャパラル中学、ダイヤモンドバー高校へ通った。
中学の卒業アルバムには、当時の水原の写真が載っている。白い歯を見せて微笑む、あどけない少年。髪型は当時から変わっていない。部活のメンバー写真にその姿はなく、帰宅部だったようだ。
中学・高校と同級生で、現在もその地域に住む米国人男性のタイラー(38)が語る。
「中学生の時はよく4~5人のグループで遊んでいました。彼はゲームが好きで、学校帰りに僕の家でゾンビやレスリングのテレビゲームをやっていました。夕方になると、父親が車で迎えに来ていましたね」
そのゲームで遊んでいる最中のこと。水原がタイラーのベッドに向かって勢いよくジャンプしたところ、ベッドの骨組みが壊れた。
「仲間内で遊ぶとやんちゃなところもありましたが、学校のクラスではおとなしかった。僕らが騒いだり冗談を飛ばしているのを、そばで見ているタイプの少年でした」