また、元政治記者として〈プロによる政治の占有〉を危ぶむ一方、安倍元首相銃撃事件の現場を自ら歩き、国葬の是非云々とは関係なく、〈この地で命を落とされたことが残念なのです〉と純粋に人の死を悼む人々の姿にハッとさせられたりと、常に見たまま感じたままを大越氏は伝えようとする。
「中でも転機になったのが2022年2月のウクライナ侵攻で、あれだけはどんな価値観に照らしても許されない。プーチン氏特有の考えに基づく行動で、絶対に指弾するべきだと、強く怒りも含めて伝えなければという、この番組に対する僕のモチベーションになりました。
それこそ地図上で戦況を示し、○○が鎮圧されたと数字や記号で報じる際も、その背景には必ず命があり、名前や暮らしがあることを絶対に忘れてはいけないと、青臭いようですけど、心に刻んだ瞬間でした」
郊外に建つ自宅の庭先で土と戯れ、猫と戯れるゆるゆるとした時間の中でも、折に触れて大越氏は怒る。
「僕は怒るにも基準があると思っていて、1つは殺す、盗むといった禁忌に関する当然の道徳と、もう1つは平和や民主主義といった、先人が夥しい犠牲を費やし、血で贖ってきた価値を踏みにじる行為。これは国政に関しても大いに怒ってよく、問題は政策の中身よりプロセスが真っ当かどうか。
例えば議会政治の根幹を揺るがし、無視するようなやり方には断固怒っていい。でも個々の政策はそれぞれ違ってよく、僕らは各々の考えを極力フラットに伝え、後々の歴史の評価に耐える情報のインフラを日々積み重ねるしかないんです」