「ぼくは何も答えないからね」
振り返れば、神田は少しずつ、しかし着実に、芸能界での仕事を整理していた。2021年1月、自身が50年近く所属した石原プロが事実上の解散状態になると、神田はほかの事務所に所属したり、新事務所を立ち上げたりすることもなく、以前から持っていた個人事務所で活動を続けた。その事務所も2022年6月末で畳み、長年主催してきたスキー大会も自らの手で2023年2月に幕を下ろした。
「神田さんの最後のドラマ出演は2023年3月で、新規のオファーは『せりふが覚えられない』という理由で断っていたといいます。それ以降、表立った活動は『旅サラダ』だけでした」(前出・芸能関係者)
『旅サラダ』はまさに、神田を芸能界につなぎ止めていた「石原プロで受けた」最後の仕事だった。ただ、これまで半世紀以上芸能界の第一線で活躍し続けた神田にとって、「自由な生活」は憧れでもあった。
「2016年に、雑誌のインタビューでいまやりたいことを問われた神田さんは、『新しく何かやろうってことはないけど、時間がほしい。最低8か月くらい。それには(レギュラー出演するドラマや番組を)1回卒業しないと無理でしょうね』と答えています。石原プロで受けた仕事を全うし、ようやく自由で穏やかな日々を手に入れられるという思いがあるのかもしれません」(前出・芸能関係者)
自由の身となった神田を支えるパートナーもいる。銀座の老舗クラブのオーナーママで、ショートカットがトレードマークの女性だ。
「妖艶で上品なかたですが、仕事を離れると神田さんの好みに合わせてか、最低限のメイクにとどめているとか。神田さんとはもう30年近いつきあいで、一緒にゴルフに出かけることもあるといいます。面会謝絶の入院期間中も、彼女は神田さんの病室に出入りしていたそうで、退院したときにはふたりで快気祝いもしています。同居はしておらず、お互いの生活を尊重しながら、適度な距離を保っているそうですよ」(前出・神田の知人)
唯一の親族だった愛娘を亡くした神田にとって、彼女はかけがえのない存在なのだろう。7月上旬、本誌は神田の元を訪れ、『旅サラダ』卒業後について尋ねたが、
「ぼくは何も答えないからね。そう決めてるんだ」
と言葉少なに語るのみだった。ただ、真っ黒に日焼けした両腕や精悍な顔つきは、以前のアクティブな神田を彷彿とさせ、健康体を取り戻したようにも見えた。MC卒業まで残り2か月。芸能史に残る名優の“お別れの日”が近づいている。
※女性セブン2024年7月25日号