9回に同点弾、10回に勝ち越し弾を浴びた桑田真澄はガックリとうな垂れた
PLの流れを断った「木内マジック」
負けられないPLに対し、取手二は「のびのび野球」で主導権を握った。だが、PLも取手二のエース・石田文樹から6回に1点、8回に2点を奪い、1点差に迫る。
4対3で迎えた9回裏、石田はソロ本塁打を浴び、ついに同点に。さらに四球でランナーを出すと、木内はすかさず右翼を守っていた左投げの柏葉勝己にスイッチ。送りバントを捕手が俊敏に阻止して一塁走者をアウトにしたところで、木内は再び石田をマウンドに送った。木内マジックと呼ばれたワンポイントリリーフで流れを断つと、10回表に3点本塁打が飛び出し、そのまま逃げ切ることに成功した。
取手二の快挙後、木内は常総学院(茨城)の指揮官となり、1987年夏には立浪和義が主将を務めたPLと再び決勝で対戦、今度はPLに軍配が上がった。甲子園通算40勝(全国制覇3回)の木内は野球人生をこう振り返った。
「80歳まで監督をやらせてもらった。誰からも反対はなかった。こんな幸せな野球人生はない」
取材・文/柳川悠二
※週刊ポスト2024年8月9日号